ハワイの衣料品製造業の歴史 その219 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(22) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。
『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(22)
ヴォン・ハム・ヤング社はのちに、
パーク・フォレスト株式会社のスクリーン・プリントを行うために
彼らの仕事に携わっていたが、ついに1960年頃同社を買収した。
しかしながら1960年代には、日本で行われるプリントの、
技術力と経済性の高さゆえに、
ヴォン・ハム・ヤング社、現在(訳注:1965年)のハワイアン・テキスタイルズは、
ハワイ柄の生地プリントを行うために、
そのかなりの量を、ますます日本に送るようになっている。』
ちょうど手元に、1958年のハワイアン・テキスタイルズの新聞広告がありますので
ご紹介します。
(筆者コレクションより)
1958年に「ミッド・パシフィック・ファッション・コンファレンス・
アンド・マーケット・ウィーク」というイベント(会議と展示会)があったようで、
それに合わせて出された広告のようです。
またこの広告の中で、「ハワイアン・テキスタイルズ」というのは、
「ヴォン・ハム・ヤング株式会社」の「一部門」であるとの説明がなされています。
それにしても、日本の生地プリント産業は、工賃が安いわりに高品質だったわけですね。
(次回に続く)
現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。
『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(22)
ヴォン・ハム・ヤング社はのちに、
パーク・フォレスト株式会社のスクリーン・プリントを行うために
彼らの仕事に携わっていたが、ついに1960年頃同社を買収した。
しかしながら1960年代には、日本で行われるプリントの、
技術力と経済性の高さゆえに、
ヴォン・ハム・ヤング社、現在(訳注:1965年)のハワイアン・テキスタイルズは、
ハワイ柄の生地プリントを行うために、
そのかなりの量を、ますます日本に送るようになっている。』
ちょうど手元に、1958年のハワイアン・テキスタイルズの新聞広告がありますので
ご紹介します。
(筆者コレクションより)
1958年に「ミッド・パシフィック・ファッション・コンファレンス・
アンド・マーケット・ウィーク」というイベント(会議と展示会)があったようで、
それに合わせて出された広告のようです。
またこの広告の中で、「ハワイアン・テキスタイルズ」というのは、
「ヴォン・ハム・ヤング株式会社」の「一部門」であるとの説明がなされています。
それにしても、日本の生地プリント産業は、工賃が安いわりに高品質だったわけですね。
(次回に続く)
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