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ハワイの衣料品製造業の歴史 その212 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(15) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。



『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(15)

   その記事には、工場のアーティスト、ボブ・オチクボと
  トニー・ウォーカーが写っている写真が添えられ、
  彼らは、1か月に10柄を生みだす3人のスタッフのうちの2人であると説明されている。

  この写真のキャプションは次のようなものである。

  ”新しい柄を生みだすためのインスピレーションは、
  古代のタパから現代的なデザインまでさまざまなものから得られる。

  スタッフは、織ネームや広告の準備もする。

  ホノルル空港近くにある、ホーネット通りの工場
  ---そこですべてのプリントが行われている---には、
  長さ120フィート(訳注:約36.5m)のプリント台が10台ある。”

  ”柄は、スキージ(訳注:ゴムの付いたヘラ)を使って手でプリントされるのだが、
  そのスキージに力を加えて動かすと、
  シルク・スクリーンの薄いメッシュを通して染料が生地の上に載るわけである。” 』




初期のサーフンサンドには3人の絵描きがいて、
そのうちの2人が、ボブ・オチクボとトニー・ウォーカーであると、
上の文章には書かれています。

ボブ・オチクボという人の名前は初めて聞きましたが、
トニー・ウォーカーは、後年のシャヒーンズで、
ボブ・サトウと共に活躍するテキスタイル・デザイナーです。

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この右側の人

トニー・ウォーカー.jpg

がトニー・ウォーカーです。


そして、何度も紹介している写真ですが、↓ こちら

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がサーフン・サンド・ハンド・プリンツでプリントしている様子で、
手元の長いヘラが、上の文章に出てくるスキージになります。

スキージ.jpg




(次回に続く)


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