SSブログ

ハワイの衣料品製造業の歴史 その213 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(16) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。



『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(16)

  1953年1月31日付ホノルル・スターブリトゥン紙に、
 ジョン・ブロスナンは「ハワイの数百万ドルの衣料品産業」という記事を書き、
 ハワイの衣料品産業にとって生地をプリントする場所の重要性について、
 次のように述べている。

  ”明るい色のハワイ柄のプリントを行えるだけの十分な設備を備えた
  素晴らしいプリント工場は、ほとんどが本土にあり、
  また、しばしば絵描きも雇っているため、
  ハワイの衣料品メーカーは、自分たちがイメージするものを、
  絵や文章や見本や写真やその他の手段を使って、直接絵描きに伝えるか、
  あるいはプリント工場の代理人を通して伝えるかする。”

 「1940年代末から1950年代初頭にかけて、プリント生地メーカーは、
 ハワイ柄の需要の多さに対応するため、
 本土の産業の中心地でハワイ柄をプリントする、その分量を増やした」と
 ブロスナンはほのめかしている。

 ハワイでデザインされ、本土でプリントされた生地は、
 船に積まれてハワイに戻ってくるのである。』



少し回りくどい文章で分かりにくいですが、まとめると、
「1940年代末から1950年代初頭にかけての時代、
 プリント生地メーカーのほとんどは本土にあり、
 ハワイの衣料品メーカーが、ハワイ柄をプリントしてもらうにあたって、
 本土とのやり取りが大変であるし、
 しかもプリントされた生地をハワイに送ってもらうのもまた大変なので、
 プリントする場所を近くに置きたいという希望を持っていた」
ということのようです。

そして、そのような背景があって、サーフン・サンド・ハンド・プリンツのような
プリント工場がハワイにできるようになった、と言いたいのだと思います。



(次回に続く)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ファッション

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。