SSブログ

ハワイの衣料品製造業の歴史 その211 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(14) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。



『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(14)

   ”サーフン・サンド・ハンド・プリンツは、
   昨年は70万ヤード(訳注:約64万m)のプリント生地を生産し、
   今年(1952年)はすでに、これまでの半年で同じだけ生産している。

   1952年5月1日現在で、同社は、彼の両親の会社である
   シャヒーンズ・オブ・ホノルルから独立した。

   今日では、両社は提携しているが別法人である。

   プリント工場は現在、社長兼CEOとして2か月前に入社した
   M・ラシードの監督下にある。”

   ”シャヒーンズ・オブ・ホノルルは、
   過去2年間、自社の衣料品を製造するにあたって
   サーフン・サンド・ハンド・プリンツのプリント生地を使ってきたが、
   そのプリント生地自体がハワイ中の主要生地店に提供されるようになったのは、
   わずか3週間前のことである。

   3日前には、ハワイで最初のハンド・プリント生地が、
   本土のスクリーン・プリント生地と同価格で販売された。” 』



いろいろと重要なことが書かれていますね。

上の記述を整理すると、

●シャヒーンズ・オブ・ホノルルは、アルフレッド・シャヒーンの両親が経営する
衣料品メーカー

●サーフン・サンド・ハンド・プリンツは、アルフレッド・シャヒーンが経営し、
 M・ラシードが社長を務めるプリント工場

という別法人であり、

●サーフン・サンドは、1952年5月1日にシャヒーンズから独立した

●サーフン・サンドは、1950年からプリント生地を生産している

●シャヒーンズは、サーフン・サンドがプリントした生地を使って
アロハシャツなどの衣料品を製造している

●サーフン・サンドのプリント生地は、1952年から生地店でも売られている

ということになります。


前回のブログで筆者は、
「シャヒーンズの織ネームが付いた、レーヨン抜染のアロハシャツは、
 1948年から52年の間に、本土のコンバーターから仕入れた生地を使い、
 ハワイの自社工場で縫製したシャツであり、
 一方、自社でプリントしたコットンのアロハシャツは、
 1952年以降に作られたシャツである」
と書きましたが、
今回の記述で新しい事実が判明したので、訂正しておきます。

「シャヒーンズの織ネームが付いた、レーヨン抜染のアロハシャツは、
 1948年から50年頃までに、
 本土のコンバーターから仕入れた生地を使い、
 ハワイの自社工場で縫製したシャツであり、
 一方、シャヒーンズのコットンのアロハシャツは、
 サーフン・サンドでプリントした生地を使い、
 1950年以降にシャヒーンズで作られたシャツである」
ということになります。

DSCN5704.JPG

(筆者コレクションより)



(次回に続く)

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。