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ハワイの衣料品製造業の歴史 その207 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(10) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。



『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(10)

  1950年3月のホノルル・アドヴァタイザー紙に載ったある記事の中で、
 テキスタイル・デザイナーであり陶芸作家・木彫作家でもある
 ジェームズ・K・K・パークが、
 シャヒーンとは別に、スクリーン・プリントを試みていると、
 アナベル・デーモンがリポートしている。

 ちなみにパークは、「それまでの数年間、生地に」自らのデザインを
 プリントしてきた。

 「彼がデザインした柄をハンド・スクリーン・プリントしたカーテン生地は、
 異国的なデザインと注意深い職人技との素晴らしい見本となっている」と
 その記事には書かれている。

 また、彼のデザインの中には、日本で富士絹にプリントされたものも
 いくつかあるという。

 さらにその記事には、「彼の作品は、親しみのある題材に新鮮なアプローチをしたり、
 ハワイのデザインの中に準抽象的な感覚を溶け込ませたりすることで
 知られている。」とも書かれている。』



テキスタイル・デザイナーとしてのジェームズ・K・K・パークは、
新聞記事でも取り上げられているため、多少のことはわかっていますが、
彼のデザインが実際のアロハシャツの柄になったのか、
なったとするなら、どのようなデザインを、何点くらい描いているかについては
実はよくわかっていません。

この記事を読むと、
「彼がデザインした柄をハンド・スクリーン・プリントしたカーテン生地」
と書かれているので、
「アロハシャツ用の生地」はプリントしていないのかもしれませんね。



(次回に続く)

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