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ハワイの衣料品製造業の歴史 その198 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。

今回から新しい話題が始まります。
「ハワイの生地プリント産業」についてです。



『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(1)

  ハワイ柄の生地デザインをプリントする産業は、
 ハワイでは4つの大きな段階を経て今に至っている。

 エルシー・ダースがワットムルス・イースト・インディア・ストア向けに
 1936年に行った最初のデザインは日本でブロック・プリントされた。

 またハワイ柄デザインのいくつかは1930年代末に本土でプリントされた。

 戦争中、すなわち1942年から45年までは、
 日本との連絡が断たれ、本土からの購入も難しかったため、
 ハワイ柄の生地デザインをプリントする手段としては、
 ブロック・プリントがハワイで行われた。

 ハワイでのこの手作業(訳注:ブロック・プリント)は戦前に開発され始め、
 戦争によって、より頻繁に使われるようになった。

 ブロック・プリントする上で、素早く作れるようなデザインが頻繁に選ばれた。

 すなわちダイヤモンドヘッド、フラガール、滑稽なフレーズ、花、ヤシの木、
 その他の典型的なハワイのシンボルの絵である。

 そういう柄は無地の布にプリントされた。

 色はしばしば明るく派手であった。』




アロハシャツに使われるような「ハワイ柄」のプリントは、
まず最初(戦前)は日本で、その後、米国本土で、
そして戦争中はハワイで行われた、と書かれています。

そのハワイでのプリントは、簡単なブロックプリントで、
柄もヤシの木やフラガールのような典型的なハワイ柄が繰り返し使われた、とのことです。




(次回に続く)

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