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ハワイの衣料品製造業の歴史 その196 1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(16) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。

今回も、「ハワイのテキスタイル・デザイン」の話題が続いていますが、
その中の副項目「テキスタイル・デザインのその後の流行」の2回目になります。



『1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(16)

  テキスタイル・デザインのその後の流行(2)

   ハワイ柄プリントをスタイリングする方法もまた、1950年以来変わってきた。
  1964年12月15日付ホノルル・スターブリトゥン紙に
  リガヤ・フルートが書いた記事はこの話題である。

  記事のタイトルは「古臭いものから離れて。テキスタイル・デザイナーたちは
  変化に富んだ柄を求めて努力する。」である。

  その記事は、スタイリングやプリント技術に対する、
  ハワイの絵描きやコンバーター数人の見方を提示している。

   ”「およそ25年前、我々の柄のアイデアは
   ビショップ博物館の展示物から持って来ていました。」と、
   ユナイテッド・ファクターズのコハマ・ファブリックスの支配人
   レオ・イスラエルは言った。

   「我々のオリジナル柄は非常に美しかったし、
   最初から、つまらないもの全てを発達させたのは残念なことです。」”

   ”「ハワイ柄生地を製造する上では厄介な問題もありました。
   地元の小さなプリント・メーカーは
   十分な長さのプリント生地を生産できませんでした。

   現実の生地の段になったとき、彼らはやり遂げられなかったのです。」”

   ”「それで、本土の大企業が引き継がねばなりませんでした。
   そして今や、ハワイ柄とハワイ柄生地の90%以上は日本から来ています。」”

   ”衣料品メーカー約50社に生地を供給しているガンター・ヴォン・ハムは、
   プリント・ビジネスがこのように日本に移ったことについて次のように釈明した。”

   ”「ハワイ柄を全てニューヨークで
   プリントすることはできません。」と彼は言った。

   「なぜならニューヨークのプリント・メーカーは、1つの柄をプリントする前に、
   最低でも1万5000ヤード(訳注:約1万3716m)を注文するよう
   要求してくるからです。」” 』




1960年現在で「ハワイ柄生地の90%以上は日本から来ている」という話は、
非常に重要な証言です。

1960年と言えば、コットンとレーヨンの混紡生地が新素材として流行していた年で、
それ以外の大部分はコットン生地、という感じでしょうか?
レーヨンや壁縮緬はほとんど使われなくなっていたと思います。

例えばこの柄(コットン) ↓ が1960年の広告に出ています(実際は1959年の柄)。

PICT0169.JPG

シアーズ1960年.jpg

(2点共 筆者コレクションより)

シアーズの製品です。おそらく日本製の生地でしょう。




(次回に続く)


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