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ハワイの衣料品製造業の歴史 その132 1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(5) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。

「ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル」をご紹介しています。
今回から本文に戻り、「その129」の続きとなります。
「その129」はこちら。
https://blog.ss-blog.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=112349234



『1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(5)

  ホノルルのオーダーメードのデザイナーたちは、
 戦後期の衣料品のスタイルにおいて、
 ホノルルの他の衣料品製造業者より進んでいた。
 彼らの作品は地元の出版物の記事の中にたくさん見受けられる。

  タニヤ・アンド・ボブリー。
 ・・・1947年4月20日付のホノルル・アドヴァタイザー紙に次のような広告が載った。

   ”1947年のスタイル・イベント! 4月26日土曜日の夜、
   ラ・フラ・ルンバでファッションショーを開催します。
   タニヤ・アンド・ボブリー作のガウン。
   ワイキキの、カラカウア通りとマカリー通りの角にある
   マカリー・スクエア・ビルで。”

(中略)

  オーダーメードのデザイナーたちは、戦後すぐの数年間、
 ハワイの衣料品産業界に強い影響力を及ぼしたのであるが、
 そのことは、1947年のアロハ・ウィークにまつわる、
 ある出来事に見て取れる。
 1947年10月10日付のホノルル・スターブリトゥン紙に、
 ある写真が次のようなキャプション付きで掲載された。

  ”アロハ・ウィークの女性大使バーバラ・ホルトは、
  マーサ・ビトリックがデザインと製作をし、
  ザ・シンギング・サーフライダーズから贈られたホロクを着ている。
  ホルト女史は、アロハ・ウィークを宣伝しハワイに観光客を呼び込むために、
  パンナム機で本土に飛んだところです。”

  そして1947年10月20日付のホノルル・スターブリトゥン紙には、
 「マーサ・ビトリック、デザイナー兼仕立屋、マーチャンダイズ・マート・ビル」
 という広告が載った。
 その広告は「アロハ・ウィークで賞を取ったホロク」を宣伝している。』


オーダーメードのデザイナーというのは、ほとんどが女性物のデザイナーなので、
アロハシャツの話というよりも、ドレスやガウンなどの話になってしまいがちです。
その結果、アロハシャツのことを知りたい筆者や、
おそらくこのブログを読んでくださっている方々にとっては、
少々退屈な内容が続きます。
(ファンダバーク教授は、逆に女性物に興味があるようなので、
 これでもかというくらい女性物の話が続くわけです)

この「1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル」の項は、
そんなわけで、まだしばらく続きます。



(次回に続く)

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