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ハワイの衣料品製造業の歴史 その111 1942~54年 戦中・戦後期の状況 概略(4) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

今回は「戦中・戦後編」の概略部の第4回になります。


『1942~54年 ハワイの衣料品製造業の歴史 戦中・戦後編 概略(4)

     これまで述べてきたさまざまな力が、ハワイの衣料品製造業者に、
    より明確なハワイ・ポリネシア調スタイルを打ち出すように強く作用したが、
    ハワイの衣料品製造産業がハワイ・ポリネシア調スタイルの商品群に
    力を入れるようにさせる、さらに別の要素が2つあった。
    一番大きかったのは、年に一度の催しとして1947年から始まった
    アロハ・ウィークが、期間中に訪れた観光客だけでなく地元住民にも
    ハワイ・ポリネシア的な服を着るように仕向けたという事実である。
    このアロハウィークでの慣習は次第に、
    ハワイ・ポリネシア的な服をハワイで普段でも着ることを
    後押しするようになっていった。
    そのため、ハワイ・ポリネシア的な服に対する市場が拡大し、
    ハワイの衣料品製造会社は、ハワイ・ポリネシア調の服の
    種類やスタイルを増やしていった。
    ハワイの衣料品製造業で起こったこうした動きは、
    1950年代初頭までには非常にはっきり表れていた。
    ハワイでデザインされたプリント生地やハワイで作られた衣料品が
    ハワイで生み出した新たな地方色は、
    1954年までには、全米で認知されるようになっていた。』


  (次回に続く)
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