ハワイの衣料品製造業の歴史 その112 1942~54年 戦中・戦後期の状況 概略(5) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
今回は「戦中・戦後編」の概略部の第5回になります。
『1942~54年 ハワイの衣料品製造業の歴史 戦中・戦後編 概略(5)
ハワイ柄プリントの本土版コピーや模倣は、
エルシー・ダースや他のアーティストのファブリック・デザインが
人気となった結果として、1930年代に始まった。
そして戦後になると、コピーや模倣の数も頻度も増えた。
加えて、本土の衣料品製造業者は、
ハワイ・ポリネシア調の服のスタイルも真似し始めた。
1950年代後半から、州への昇格によってハワイの地方色が脚光を浴びた
1959年と60年にかけて、本土でムームーが流行した結果、
ハワイの衣料品製造会社からハワイ・ポリネシア・スタイルの服を
仕入れようという本土側の需要が大いに高まった。
1950年代には、いくつかの新しいタイプのハワイ・ポリネシア的な服が
本土市場に紹介された。
すなわち、ポイ・パウンダー(訳注:詳細不詳)と
ティー・タイマー・ブラウスのようなパンツ・セット、
ムームーの変種であるホロク、ショーティー・ムー(訳注:丈の短いムームー)、
シフト・ドレス(訳注:ウェストを絞らないワンピース)、
プリントシャツなどである。』
ティー・タイマー・ブラウスはこのようなもの ↑ です。
ホロクはこのようなもの ↑ です。
(次回に続く)
今回は「戦中・戦後編」の概略部の第5回になります。
『1942~54年 ハワイの衣料品製造業の歴史 戦中・戦後編 概略(5)
ハワイ柄プリントの本土版コピーや模倣は、
エルシー・ダースや他のアーティストのファブリック・デザインが
人気となった結果として、1930年代に始まった。
そして戦後になると、コピーや模倣の数も頻度も増えた。
加えて、本土の衣料品製造業者は、
ハワイ・ポリネシア調の服のスタイルも真似し始めた。
1950年代後半から、州への昇格によってハワイの地方色が脚光を浴びた
1959年と60年にかけて、本土でムームーが流行した結果、
ハワイの衣料品製造会社からハワイ・ポリネシア・スタイルの服を
仕入れようという本土側の需要が大いに高まった。
1950年代には、いくつかの新しいタイプのハワイ・ポリネシア的な服が
本土市場に紹介された。
すなわち、ポイ・パウンダー(訳注:詳細不詳)と
ティー・タイマー・ブラウスのようなパンツ・セット、
ムームーの変種であるホロク、ショーティー・ムー(訳注:丈の短いムームー)、
シフト・ドレス(訳注:ウェストを絞らないワンピース)、
プリントシャツなどである。』
ティー・タイマー・ブラウスはこのようなもの ↑ です。
ホロクはこのようなもの ↑ です。
(次回に続く)
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