ハワイの衣料品製造業の歴史 その58 1936年 小売店の広告がハワイ製の衣料品に言及し始めた [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。
『1936年 小売店の広告がハワイ製の衣料品に言及し始めた
1930年代前半に、ハワイの衣料品製造業者の広告が、
自社の衣料品はハワイの小売店で売られていると述べているが、
1936年以前の広告で確かにそうだと認めるのは難しい。
1930年代にハワイの小売店が頻繁に広告していたのは、
水着とスポーツウェアの全国ブランドだったからである。
そのように広告されていたブランドの中に、”ジャンセン”と”カタリナ”がある。
1936年以降、小売店の広告は、ハワイ製の衣料品に関する情報源として
ますます価値を持つようになった。
ハワイ由来の衣料品であると述べたりほのめかしたりしている、
小売店の初期の広告のいくつかの中に、次のようなものがある。』
教授がここで述べていることをわかりやすく整理すると、以下のようなになります。
1)(以前紹介した)ユニオン・サプライ社やセイラー・モク・プロダクツといった
ハワイの衣料品メーカーは、1930年代に、盛んに自社商品を広告し、
取扱店を列挙する広告(例えば以前紹介した、ユニオン・サプライ社の広告)
などもあったが、一方の小売店のほうは、
そのような商品を扱っていることを宣伝してこなかった(広告が見つからなかった)
2)小売店が宣伝していたのは”ジャンセン”や”カタリナ”のような全国ブランドだった
3)1936年以降になると、小売店がハワイ製の衣料品を宣伝するように変化した
そして、その理由は、(教授は述べていないので筆者が推測すると)
4)1935~36年を境に、ハワイの人の生活水準が上がったこと、
本土からハワイを訪れる観光客が増えたこと、などを理由に
水着やスポーツウェア=「余暇着」の需要が高まり、ハワイの衣料品製造業者も
「作業着」だけ、から「余暇着」にも力を入れだした
(一部、セイラー・モクなどは、本来作業着ですが、
少し前の1930年代前半に、過渡的に、おしゃれな余暇着として扱われ始めました)
5)作業着であれば、どこで買っても大きな違いはないので、
店として宣伝する必要があまりなかったが、
余暇着の場合、色・柄・素材などで見た目や着心地が大きく変わるため、
他店と差別化するために宣伝する必要が出てきた
ということではないでしょうか?
そのような流れの中で、アロハシャツも登場し、最初は和柄(日本製の着物柄)、
そして、ハワイ柄(オリジナルの柄)へと進化していったのではないでしょうか?
(フーバーインスティチューションのHPより引用。
1939年のゴルフ大会役員の記念写真。初期のアロハシャツ=和柄の例)
ちなみに、ここで触れられている、ジャンセンとカタリナは、
小売店が、取り扱っている水着を紹介する際に挙げたブランドだと思われます。
(アロハシャツのようなシャツは、彼らもまだ作っていなかったと思います)
次回から2回にわたって、小売店の具体的な広告をご紹介します。
(次回に続く)
『1936年 小売店の広告がハワイ製の衣料品に言及し始めた
1930年代前半に、ハワイの衣料品製造業者の広告が、
自社の衣料品はハワイの小売店で売られていると述べているが、
1936年以前の広告で確かにそうだと認めるのは難しい。
1930年代にハワイの小売店が頻繁に広告していたのは、
水着とスポーツウェアの全国ブランドだったからである。
そのように広告されていたブランドの中に、”ジャンセン”と”カタリナ”がある。
1936年以降、小売店の広告は、ハワイ製の衣料品に関する情報源として
ますます価値を持つようになった。
ハワイ由来の衣料品であると述べたりほのめかしたりしている、
小売店の初期の広告のいくつかの中に、次のようなものがある。』
教授がここで述べていることをわかりやすく整理すると、以下のようなになります。
1)(以前紹介した)ユニオン・サプライ社やセイラー・モク・プロダクツといった
ハワイの衣料品メーカーは、1930年代に、盛んに自社商品を広告し、
取扱店を列挙する広告(例えば以前紹介した、ユニオン・サプライ社の広告)
などもあったが、一方の小売店のほうは、
そのような商品を扱っていることを宣伝してこなかった(広告が見つからなかった)
2)小売店が宣伝していたのは”ジャンセン”や”カタリナ”のような全国ブランドだった
3)1936年以降になると、小売店がハワイ製の衣料品を宣伝するように変化した
そして、その理由は、(教授は述べていないので筆者が推測すると)
4)1935~36年を境に、ハワイの人の生活水準が上がったこと、
本土からハワイを訪れる観光客が増えたこと、などを理由に
水着やスポーツウェア=「余暇着」の需要が高まり、ハワイの衣料品製造業者も
「作業着」だけ、から「余暇着」にも力を入れだした
(一部、セイラー・モクなどは、本来作業着ですが、
少し前の1930年代前半に、過渡的に、おしゃれな余暇着として扱われ始めました)
5)作業着であれば、どこで買っても大きな違いはないので、
店として宣伝する必要があまりなかったが、
余暇着の場合、色・柄・素材などで見た目や着心地が大きく変わるため、
他店と差別化するために宣伝する必要が出てきた
ということではないでしょうか?
そのような流れの中で、アロハシャツも登場し、最初は和柄(日本製の着物柄)、
そして、ハワイ柄(オリジナルの柄)へと進化していったのではないでしょうか?
(フーバーインスティチューションのHPより引用。
1939年のゴルフ大会役員の記念写真。初期のアロハシャツ=和柄の例)
ちなみに、ここで触れられている、ジャンセンとカタリナは、
小売店が、取り扱っている水着を紹介する際に挙げたブランドだと思われます。
(アロハシャツのようなシャツは、彼らもまだ作っていなかったと思います)
次回から2回にわたって、小売店の具体的な広告をご紹介します。
(次回に続く)
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