ハワイの衣料品製造業の歴史 その47 1935年-37年 「アロハ」という単語をハワイ製のシャツに付けた初期の広告例(前編) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。
今回と次回は、前回の文章
(「ハワイ製のスポーツ・シャツに「アロハ」の名を付けた」)を説明するための
広告例を紹介します。
具体的な商品名や価格などが出てくるので、
とても参考になると思います。
『1935年-37年 「アロハ」という単語を
ハワイ製のシャツに付けた初期の広告例(前編)
ムサシヤ・ショウテン株式会社
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1935年7月12日
”有名シャツと着物のメーカー。既製とオーダーメイドの、シャツと着物。
ドレス、コート、シャツ、ローブ、着物用に、
美しい薄くてソフトな生地やシルク地を幅広くお選びいただけます。
スリッパはサイズも種類も豊富。上手な仕立てと美しいデザイン、
まばゆい色の「アロハ」シャツ。既製またはオーダーメイドで95セントより。”
ムサシヤ・ショウテン株式会社
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年7月2日
”アロハシャツ、75セント。ビーチ・ハット25セント。
子供のシルク・パジャマ、上下で1.50ドルより。
美しい紙の提灯で飾りつけを新しくした、私共の特別なお店を、
お越しになってご覧ください。
ムサシヤ・ショウテン株式会社、シャツメーカー。
ノース・キング通り179番地。電話5458番。”
ワットムルス・イースト・インディア・ストア
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1936年7月5日
”ビーチ用衣類。バティック・プリントのホールターと短パン1.95ドル。
バティック・プリントのシャツ1.25ドル。
アロハ・シャリス・シャツ(訳注:薄くてソフトな生地のアロハシャツ)1.00ドル。”
ムサシヤ・ショウテン株式会社
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1936年7月9日
”特別販売。観光客の方々へ!
オーダーメイドまたは既製のアロハシャツ、75セントより。
富士絹製で明るい色のラウンジング・パジャマ、5.25ドルより。
シルクの着物とシャツは幅広い種類をお求めやすい価格でご用意。”
ボン・マルシェ
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1936年7月15日
”特別販売。男児用と女児用のビーチ・トランクス、サイズ26より。
通常価格75セントを特別価格50セント。
アロハシャツ、サイズ8から15 1/2まで。特別価格49セント。
男性用スイム・トランクス、ネイビー・ブルーとカーキ。サイズ26から34まで。
特別価格89セント。”
ボン・マルシェ
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年7月16日
”男児用と女児用のビーチ・トランクス、サイズ26より。
通常価格75セントを特別価格50セント。
アロハシャツ、サイズ6から15 1/2まで。特別価格49セント。” 』
まず、ここで注意していただきたいのが、
最初と2番目のムサシヤ・ショウテンの広告です。
両者の間には1年の歳月が流れています。
1935年7月には、「アロハ」シャツ(英字では'Aloha' shirts)と、
アロハの文字を強調していますが、
1936年7月は、特に強調せず、アロハシャツ(英字ではAloha shirts)、と
そのまま表記しています。
一般名詞化しているということは、
1年の間にこの商品名の認知度が上がっていることを意味するのではないでしょうか?
(「え、アロハシャツって何?」から「ああ、アロハシャツ。」のような感じ)
また、「95セントより」が「75セント」に変わっています。
つまり、一番安いものが95セントで、
中心価格帯は、例えば1.20ドルとか1.50ドルだったものが、
翌年には、75セントに一本化されているわけです。
これは、他店でも似たようなシャツを売り出すようになり、
差別化するために値下げせざるをえなくなったためと考えられます。
そして、1936年には、3番目の広告にあるように、
生地を少し変えた類似商品(アロハ・シャリス・シャツ)が出てきたり、
4番目と5番目にあるように、子供用のアロハシャツが出てきたり、と
種類が増えていく(裏を返せば参入業者が増えていく)様子がうかがえます。
これらの点から、1935年から1936年までの1年間で、
アロハシャツはかなり普及したのではなかろうか、というのが筆者の考えです。
(次回に続く)
今回と次回は、前回の文章
(「ハワイ製のスポーツ・シャツに「アロハ」の名を付けた」)を説明するための
広告例を紹介します。
具体的な商品名や価格などが出てくるので、
とても参考になると思います。
『1935年-37年 「アロハ」という単語を
ハワイ製のシャツに付けた初期の広告例(前編)
ムサシヤ・ショウテン株式会社
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1935年7月12日
”有名シャツと着物のメーカー。既製とオーダーメイドの、シャツと着物。
ドレス、コート、シャツ、ローブ、着物用に、
美しい薄くてソフトな生地やシルク地を幅広くお選びいただけます。
スリッパはサイズも種類も豊富。上手な仕立てと美しいデザイン、
まばゆい色の「アロハ」シャツ。既製またはオーダーメイドで95セントより。”
ムサシヤ・ショウテン株式会社
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年7月2日
”アロハシャツ、75セント。ビーチ・ハット25セント。
子供のシルク・パジャマ、上下で1.50ドルより。
美しい紙の提灯で飾りつけを新しくした、私共の特別なお店を、
お越しになってご覧ください。
ムサシヤ・ショウテン株式会社、シャツメーカー。
ノース・キング通り179番地。電話5458番。”
ワットムルス・イースト・インディア・ストア
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1936年7月5日
”ビーチ用衣類。バティック・プリントのホールターと短パン1.95ドル。
バティック・プリントのシャツ1.25ドル。
アロハ・シャリス・シャツ(訳注:薄くてソフトな生地のアロハシャツ)1.00ドル。”
ムサシヤ・ショウテン株式会社
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1936年7月9日
”特別販売。観光客の方々へ!
オーダーメイドまたは既製のアロハシャツ、75セントより。
富士絹製で明るい色のラウンジング・パジャマ、5.25ドルより。
シルクの着物とシャツは幅広い種類をお求めやすい価格でご用意。”
ボン・マルシェ
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1936年7月15日
”特別販売。男児用と女児用のビーチ・トランクス、サイズ26より。
通常価格75セントを特別価格50セント。
アロハシャツ、サイズ8から15 1/2まで。特別価格49セント。
男性用スイム・トランクス、ネイビー・ブルーとカーキ。サイズ26から34まで。
特別価格89セント。”
ボン・マルシェ
ホノルル・スターブリトゥン紙
1936年7月16日
”男児用と女児用のビーチ・トランクス、サイズ26より。
通常価格75セントを特別価格50セント。
アロハシャツ、サイズ6から15 1/2まで。特別価格49セント。” 』
まず、ここで注意していただきたいのが、
最初と2番目のムサシヤ・ショウテンの広告です。
両者の間には1年の歳月が流れています。
1935年7月には、「アロハ」シャツ(英字では'Aloha' shirts)と、
アロハの文字を強調していますが、
1936年7月は、特に強調せず、アロハシャツ(英字ではAloha shirts)、と
そのまま表記しています。
一般名詞化しているということは、
1年の間にこの商品名の認知度が上がっていることを意味するのではないでしょうか?
(「え、アロハシャツって何?」から「ああ、アロハシャツ。」のような感じ)
また、「95セントより」が「75セント」に変わっています。
つまり、一番安いものが95セントで、
中心価格帯は、例えば1.20ドルとか1.50ドルだったものが、
翌年には、75セントに一本化されているわけです。
これは、他店でも似たようなシャツを売り出すようになり、
差別化するために値下げせざるをえなくなったためと考えられます。
そして、1936年には、3番目の広告にあるように、
生地を少し変えた類似商品(アロハ・シャリス・シャツ)が出てきたり、
4番目と5番目にあるように、子供用のアロハシャツが出てきたり、と
種類が増えていく(裏を返せば参入業者が増えていく)様子がうかがえます。
これらの点から、1935年から1936年までの1年間で、
アロハシャツはかなり普及したのではなかろうか、というのが筆者の考えです。
(次回に続く)
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