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ハワイの衣料品製造業の歴史 その23 1930年 最初のハワイアン・プロダクツ・ウィーク(後編) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


前回まで4回にわたり、「ハワイの産業に関する調査」という小冊子の中の、
衣料品に関する2つの項目を紹介しましたが、
話が脱線したので、少々わかりにくくなっているかもしれません。

ファンダバーク教授はもともと、
「第1回ハワイアン・プロダクツ・ウィーク」について考察していました。
(その18で述べた部分)

「この博覧会には衣料品製造会社がいくつも参加しており、
それらを紹介した新聞や小冊子の記事を読めば、
その会社の内容や実態がよくわかる」という趣旨でした。

そして今回は、「第1回ハワイアン・プロダクツ・ウィーク」に関する
後半部分になります。


『1930年 最初のハワイアン・プロダクツ・ウィーク(後編)

  1930年のハワイアン・プロダクツ・ウィークの開催中、
 たくさんの生徒がこの博覧会に来場していると、ある記事は書いている。
 また展示については次のように述べている。

   ”この博覧会はかつてホノルルで開かれたこの種のものの中で最大である。
   各社の魅力的な展示のおかげで、ハワイで作られたあらゆる製品、
   例えばキャンディ、ウクレレ、セメント、煉瓦、タイル、衣料品、靴、
   ほうき、飲料などが際立っている。”

  別の記事は次のように始まる。

   ”兵器庫での中央展示だけでなく、
   ホノルルの多くの一流会社のショーウィンドウは
   典型的なハワイの産品を展示するのに使われている。”

  第1回ハワイアン・プロダクツ・ウィークが成功裏に閉会した後の
 1930年10月20日に、ホノルル商工会議所は会員に宛てて次のような手紙を送った。

   ”ハワイではどんなものが商業的に栽培され、
   どんなものが製造されているかを人々に知ってもらうため、
   「ハワイアン・プロダクツ・ウィーク」が
   1930年9月29日から10月4日までホノルルの国立兵器庫で開催されました。
   この博覧会は、ホノルル商工会議所が
   しばらく前から行ってきたことの中では
   最も有意義なことの1つであったと、世間一般に認められています。”

   ”この博覧会を補足するために、商工会議所は
   「ハワイの産業に関する調査」という題名の小冊子を用意しました。
   その小冊子には、博覧会に出品されハワイで販売されている商品が
   たくさん紹介されており、
   そのようなハワイの製品に関する興味深くて価値のある情報も
   たくさん掲載されています。また、すでに紹介された商品のほか、
   現在ハワイで製造されつつある商品に関する追加情報を掲載して
   内容を補足する、別の小冊子を出す予定もあります。”

   ”ハワイの産業に関するこの小冊子は、我々が先に発送した、
   デヴィッド・L・クロフォード博士著「ハワイの農業事情」という小冊子とも
   関連しています。もしその小冊子をお持ちなら、
   一時的に2つをバインディングして、
   商工会議所から将来送られてくるであろう出版物をお待ちください。
   もしクロフォード博士の小冊子を受け取っていないようなら、
   ご要望によりお送りします。”

   ”ハワイで栽培された製品やハワイで製造された製品を
   できるだけ買うことが地域産業の発展を助けることにつながり、
   ひいては、ハワイに住む者がみな、ハワイの将来の繁栄のために、
   自らの役割を果たすことができるのです。”

   ”人々に地元の製品を知ってもらうための新しい動きがある中で、
   ホノルル商工会議所貿易商業工業発展委員会会員のみなさまと、
   ホノルル商工会議所会員のみなさまには、
   その役割を果たすようお願いいたします。”

   ”商工会議所は、このような努力をしていると、
   先生方や学校新聞や学校の出版物に知ってもらえるよう、
   学校にお願いしております。”

   ”また、ハワイのあらゆる人に、
   ハワイでどんなものが作られているかを知ってもらえるよう、
   これらのパンフレットを目に付くところに置いてほしいと
   図書館にもお願いしています。”

   ”さらに、記事や、小冊子からの抜粋を掲載することで
   商工会議所の仕事を助けてもらえるよう新聞にもお願いしています。”

   ”現在本土で購入されている商品は、
   ハワイで栽培され、あるいは作られるようになるはずだと
   貿易商業工業発展委員会は信じております。
   そしてみなさまには、我々に助言して助けてくださるようお願いいたします。”

  人々の目をハワイの製品に向けさせるというホノルル商工会議所の方針を、
 この手紙は示している。そしてその方針は、1930年代に、
 ハワイ製品の種類と品質を人々に知ってもらうという結果を、確かに生んだのである。』



ハワイというところは島なので、
もともとは、ほとんどのものを本土から輸入しなくてはならない、
それを改めるために、ハワイでも作物や製品を作り、
地元の人に買ってもらうようにしよう、
しかし、そもそも地元の人は、ハワイでどんなものが作られているか知らない、
だから博覧会を開いて、みんなに見てもらい知ってもらおう、
ということで、「ハワイアン・プロダクツ・ウィーク」が始まったわけです。

それが10年間開かれることで、
ハワイの産業全体は発展し、衣料品業界も発展しました。
そのような土台の上に、アロハシャツ産業があったわけです。

アロハシャツ前史が長くて、まだまだ本題に到達しませんが、
結構重要な部分なので、もうしばらくお付き合いください。
アロハシャツは、ぽっと生まれてきたものではなく、
長い下地があってこそ発展したのです。


(次回に続く)


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