ハワイの衣料品製造業の歴史 その22 1930年 小冊子内「衣料品と靴」(後半) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。
今回も、小冊子「ハワイの産業に関する調査」内の、
2つ目の項目、「衣料品と靴」の後半部分をご紹介します。
前回はユニオン・サプライ社でしたが、
今回はオアフ・ガーメント社と、もう1社を取り上げています。
『1930年 小冊子内「衣料品と靴」(後半)
”ユニオン・サプライ社のほかには、オアフ・ガーメント社と
ハワイアン・マニュファクチャー・アンド・コミッション社が
オーバーオール、ワークパンツ、ジャンパー、子供用遊び着、
カーキ・スラックスを製造している。”
”オアフ・ガーメント社は、チョック・チュウとチョック・インの2人が
共同経営しており、7年以上ビジネスを続けている。
ミシンでの縫製担当を24人雇用し、そのほかにかなりの仕事を
家庭での内職に発注している。
生産数は1日50ダース、販売額は1か月7500ドルに上っている。”
”使用する材料の65%を米国本土から直接輸入している一方、
残りの35%は地元で調達している。”
”3つ目の衣料品製造会社は
ハワイアン・マニュファクチャー・アンド・コミッション社で、
35人を雇い、1日30ダースの衣料品を生産している。
この会社もまた全製品をハワイのみで販売している。”
”工場支配人、ウォング氏によれば、この会社は近い将来改組され、
現在よりも多く生産できるようになるだろうとのことである。
D・A・ターナー氏が新会社の社長兼総支配人である。”
”上で述べた3つの製造工場のことを知らない地元の衣料品店には、
彼らの製品を手に取ってじっくり見てほしいものである。
ホノルルで製造された服は、素材と職人技が素晴らしいのだから、
本土で生産されたいかなるものにも対抗できるだろう。” 』
(ヤフオクの出品物より引用。1932~34年ごろの商品と筆者は推測)
今回の2社、オアフ・ガーメント社と
ハワイアン・マニュファクチャー・アンド・コミッション社はどちらも、
中国系の会社です(後者はオーナーは白人ですが、
実際に取り仕切っている支配人は中国系です)。
ちなみに、後者は、1922年に「ハワイ・クロージング・
マニュファクチャリング・カンパニー・リミテッド」として誕生した、
歴史の古い会社を引き継いだ会社で、さらに1932年には
「セイラー・モク・プロダクツ社」に改組されます。
この会社(ブランド)は、東洋エンタープライズの復刻でも知られていますね。
上の画像は、ヤフオクの出品物から引用したものですが、
おそらく、復刻物ではなく、当時のものだと思われます。
セイラー・モク・プロダクツ社は、1932年にできますが、
1934年ごろにはなくなっているので、短命の会社(ブランド)です。
ちなみに、このウォング氏は、このあと「ウォング・プロダクツ」という会社を興し、
おそらく戦後に、その工場(建物と、おそらくは設備も)を引き継いで誕生したのが
「ホノルル・ガーメント社」です。
アロハシャツでは「KUU-IPO」ブランドで知られるメーカーですね。
そこからさらに、「HALE HAWAII」に引き継がれていくので、
オーナーは変わりますが、一貫して中国系の衣料品メーカーとして
生きながらえていくわけで、その流れは興味深いですね。
少々長かったですが、引用部分は今回まで。
次回からは、(これらの引用を引き継いで)
再び、ファンダバーク教授の考察が始まります。
お楽しみに。
(次回に続く)
今回も、小冊子「ハワイの産業に関する調査」内の、
2つ目の項目、「衣料品と靴」の後半部分をご紹介します。
前回はユニオン・サプライ社でしたが、
今回はオアフ・ガーメント社と、もう1社を取り上げています。
『1930年 小冊子内「衣料品と靴」(後半)
”ユニオン・サプライ社のほかには、オアフ・ガーメント社と
ハワイアン・マニュファクチャー・アンド・コミッション社が
オーバーオール、ワークパンツ、ジャンパー、子供用遊び着、
カーキ・スラックスを製造している。”
”オアフ・ガーメント社は、チョック・チュウとチョック・インの2人が
共同経営しており、7年以上ビジネスを続けている。
ミシンでの縫製担当を24人雇用し、そのほかにかなりの仕事を
家庭での内職に発注している。
生産数は1日50ダース、販売額は1か月7500ドルに上っている。”
”使用する材料の65%を米国本土から直接輸入している一方、
残りの35%は地元で調達している。”
”3つ目の衣料品製造会社は
ハワイアン・マニュファクチャー・アンド・コミッション社で、
35人を雇い、1日30ダースの衣料品を生産している。
この会社もまた全製品をハワイのみで販売している。”
”工場支配人、ウォング氏によれば、この会社は近い将来改組され、
現在よりも多く生産できるようになるだろうとのことである。
D・A・ターナー氏が新会社の社長兼総支配人である。”
”上で述べた3つの製造工場のことを知らない地元の衣料品店には、
彼らの製品を手に取ってじっくり見てほしいものである。
ホノルルで製造された服は、素材と職人技が素晴らしいのだから、
本土で生産されたいかなるものにも対抗できるだろう。” 』
(ヤフオクの出品物より引用。1932~34年ごろの商品と筆者は推測)
今回の2社、オアフ・ガーメント社と
ハワイアン・マニュファクチャー・アンド・コミッション社はどちらも、
中国系の会社です(後者はオーナーは白人ですが、
実際に取り仕切っている支配人は中国系です)。
ちなみに、後者は、1922年に「ハワイ・クロージング・
マニュファクチャリング・カンパニー・リミテッド」として誕生した、
歴史の古い会社を引き継いだ会社で、さらに1932年には
「セイラー・モク・プロダクツ社」に改組されます。
この会社(ブランド)は、東洋エンタープライズの復刻でも知られていますね。
上の画像は、ヤフオクの出品物から引用したものですが、
おそらく、復刻物ではなく、当時のものだと思われます。
セイラー・モク・プロダクツ社は、1932年にできますが、
1934年ごろにはなくなっているので、短命の会社(ブランド)です。
ちなみに、このウォング氏は、このあと「ウォング・プロダクツ」という会社を興し、
おそらく戦後に、その工場(建物と、おそらくは設備も)を引き継いで誕生したのが
「ホノルル・ガーメント社」です。
アロハシャツでは「KUU-IPO」ブランドで知られるメーカーですね。
そこからさらに、「HALE HAWAII」に引き継がれていくので、
オーナーは変わりますが、一貫して中国系の衣料品メーカーとして
生きながらえていくわけで、その流れは興味深いですね。
少々長かったですが、引用部分は今回まで。
次回からは、(これらの引用を引き継いで)
再び、ファンダバーク教授の考察が始まります。
お楽しみに。
(次回に続く)
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