ハワイの衣料品製造業の歴史 その21 1930年 小冊子内「衣料品と靴」(前半) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。
前回と同じ小冊子「ハワイの産業に関する調査」内の、
もう1つ別の項目、「衣料品と靴」の前半部分をご紹介します。
男物の衣料品を工場生産する3社のうち、
今回はユニオン・サプライ社を取り上げています。
『1930年 小冊子内「衣料品と靴」(前半)
”ホノルルの製造業者が、ハワイでの消費分だけで、
1か月に3000ダース以上のオーバーオールを生産しているという事実を、
ほとんどの人は理解していない。
そのような商品はすべて米国本土から輸入されていると考えがちである。”
”衣料品と靴を生産している3つの製造工場を訪れてみると、
ホノルルでそれらを製造する産業の内側が見えてくる。”
”ユニオン・サプライ社の社長兼総支配人、K・ヤスダ氏は、
工場を案内し、見事な仕事をつぶさに見せてくれた。”
”同社はその工場で50人以上を雇用し、昨年1年間で、ユニオン・パンツ
(訳注:セイラー・モクと同じデニム・トラウザーのことで、
ユニオン・サプライ社での呼び名)、トラウザー、オーバーオールを
1万4750ダース、合計金額で14万6550ドル分、生産した。
またその工場は、1か月3500ドルの給料を支払うことで、
地元経済に貢献している。
5人の営業担当者は常に外回りをし、ハワイ中で売り歩いている。”
”同社は、製造したものすべてをハワイ諸島内で販売する一方、
すべての材料をニューヨークから直接仕入れている。
材料を地元で調達できないのは嘆かわしいことのように思えるが、
ハワイではどんなものも、釣り合いがとれないほど価格が高いのだと
ヤスダ氏は説明してくれた。”
”ハワイの人々が、ホノルルで製造されたものを
間近に見られるようになったのは、
ハワイ州選出議員、ヴィクター・K・ヒューストン氏の働きかけにより、
地元の製造業者が軍にオーバーオールを供給するための入札に参加するのを、
陸軍省(訳注:1947年まで米国に存在した旧陸軍省を指す)が許可したためである。
ユニオン・サプライ社は少し前に初めて政府と契約を交わしたのだが、
その内容は、オーバーオール1万5000着を
週に100ダースずつ納入するというものだった。”
”同社は、7年間ビジネスを営んだのち、現在の場所に移って2年が経つが、
そこに50フィート×80フィートのコンクリートのビルを建てて
製造本部にすることを計画中である。”
”また、先に述べた衣料品の製造以外では、
10人の従業員を雇って靴の工場も営んでいる。
そこでは驚くべきことに、軍の規格水準を十分クリアした軍用靴を製造しており、
それは、本土の工場で作られているものに太刀打ちできるほどの出来栄えである。
ヤスダ氏は、ハワイで唯一のかかと打ち込み機を備えていることを
誇りに思っている。
同社はまた、プランテーション用作業靴もたくさん製造しており、
自動車の古タイヤからかかとを作るという、
ヤスダ氏が自ら考案した仕組みによる、珍しい機械も備えている。”
”同社の、スリッパと靴の昨年の全生産数は6万3500足にも上った。
靴ビジネスは、ハワイに輝かしい未来をもたらしてくれるであろう
産業の1つである。” 』
この項目「衣料品と靴」に登場する3社の中で、
最も詳しく、最もスペースを割いて紹介しているのが、
ここで取り上げられているユニオン・サプライ社です。
「自動車の古タイヤからかかとを作る機械」を自ら工夫して作ってしまうあたり、
さすが日系人という感じですね。
日々工夫を重ね、少しでも良いものを、少しでも効率よく、作ろうとしています。
ユニオン・サプライ社は、1920年代からある、
ハワイの中でも非常に古い会社なのですが、
ワークウェアに軸足を置いていたせいか、
アロハシャツはあまり作っていなかったようです。
1950年代以降に、「ハワイアナ」というブランドで
さまざまなアロハシャツを作っていますが、
パリハワイアンやハレハワイにあるような、
縮緬素材のハワイ風景柄(1950年代後半)や、
コットンの安っぽい柄(1960年代)が多かったように思います。
それでは次回は、「衣料品と靴」の後半部分、残りの2社のご紹介です。
お楽しみに。
(次回に続く)
前回と同じ小冊子「ハワイの産業に関する調査」内の、
もう1つ別の項目、「衣料品と靴」の前半部分をご紹介します。
男物の衣料品を工場生産する3社のうち、
今回はユニオン・サプライ社を取り上げています。
『1930年 小冊子内「衣料品と靴」(前半)
”ホノルルの製造業者が、ハワイでの消費分だけで、
1か月に3000ダース以上のオーバーオールを生産しているという事実を、
ほとんどの人は理解していない。
そのような商品はすべて米国本土から輸入されていると考えがちである。”
”衣料品と靴を生産している3つの製造工場を訪れてみると、
ホノルルでそれらを製造する産業の内側が見えてくる。”
”ユニオン・サプライ社の社長兼総支配人、K・ヤスダ氏は、
工場を案内し、見事な仕事をつぶさに見せてくれた。”
”同社はその工場で50人以上を雇用し、昨年1年間で、ユニオン・パンツ
(訳注:セイラー・モクと同じデニム・トラウザーのことで、
ユニオン・サプライ社での呼び名)、トラウザー、オーバーオールを
1万4750ダース、合計金額で14万6550ドル分、生産した。
またその工場は、1か月3500ドルの給料を支払うことで、
地元経済に貢献している。
5人の営業担当者は常に外回りをし、ハワイ中で売り歩いている。”
”同社は、製造したものすべてをハワイ諸島内で販売する一方、
すべての材料をニューヨークから直接仕入れている。
材料を地元で調達できないのは嘆かわしいことのように思えるが、
ハワイではどんなものも、釣り合いがとれないほど価格が高いのだと
ヤスダ氏は説明してくれた。”
”ハワイの人々が、ホノルルで製造されたものを
間近に見られるようになったのは、
ハワイ州選出議員、ヴィクター・K・ヒューストン氏の働きかけにより、
地元の製造業者が軍にオーバーオールを供給するための入札に参加するのを、
陸軍省(訳注:1947年まで米国に存在した旧陸軍省を指す)が許可したためである。
ユニオン・サプライ社は少し前に初めて政府と契約を交わしたのだが、
その内容は、オーバーオール1万5000着を
週に100ダースずつ納入するというものだった。”
”同社は、7年間ビジネスを営んだのち、現在の場所に移って2年が経つが、
そこに50フィート×80フィートのコンクリートのビルを建てて
製造本部にすることを計画中である。”
”また、先に述べた衣料品の製造以外では、
10人の従業員を雇って靴の工場も営んでいる。
そこでは驚くべきことに、軍の規格水準を十分クリアした軍用靴を製造しており、
それは、本土の工場で作られているものに太刀打ちできるほどの出来栄えである。
ヤスダ氏は、ハワイで唯一のかかと打ち込み機を備えていることを
誇りに思っている。
同社はまた、プランテーション用作業靴もたくさん製造しており、
自動車の古タイヤからかかとを作るという、
ヤスダ氏が自ら考案した仕組みによる、珍しい機械も備えている。”
”同社の、スリッパと靴の昨年の全生産数は6万3500足にも上った。
靴ビジネスは、ハワイに輝かしい未来をもたらしてくれるであろう
産業の1つである。” 』
この項目「衣料品と靴」に登場する3社の中で、
最も詳しく、最もスペースを割いて紹介しているのが、
ここで取り上げられているユニオン・サプライ社です。
「自動車の古タイヤからかかとを作る機械」を自ら工夫して作ってしまうあたり、
さすが日系人という感じですね。
日々工夫を重ね、少しでも良いものを、少しでも効率よく、作ろうとしています。
ユニオン・サプライ社は、1920年代からある、
ハワイの中でも非常に古い会社なのですが、
ワークウェアに軸足を置いていたせいか、
アロハシャツはあまり作っていなかったようです。
1950年代以降に、「ハワイアナ」というブランドで
さまざまなアロハシャツを作っていますが、
パリハワイアンやハレハワイにあるような、
縮緬素材のハワイ風景柄(1950年代後半)や、
コットンの安っぽい柄(1960年代)が多かったように思います。
それでは次回は、「衣料品と靴」の後半部分、残りの2社のご紹介です。
お楽しみに。
(次回に続く)
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