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ハワイの衣料品製造業の歴史 その20 1930年 小冊子内「ドレスとランジェリー」(後半) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


前回に引き続き、小冊子「ハワイの産業に関する調査」内の、
”ドレスとランジェリー”の、後半部分をご紹介します。


『1930年 小冊子内「ドレスとランジェリー」(後半)

  ”セリグソン氏はまた、オアフ島以外のハワイ諸島の中でも最大規模の、
 農園の店のいくつかに、自分たちの商品を送ったときの話もしてくれた。
 そのような店の支配人たちは、洗濯のきく(価格の安い)ドレス以外を
 取り扱うことに懐疑的だった。
 つまり、より価格の高いドレスが売れる可能性があるとは
 思っていなかったのである。”

  ”そこでセリグソン氏は、高価なシルクや縮緬、
 その他上質な素材のドレスもいくつか混ぜたうえで各種取り揃え、
 従業員の1人に持たせて、支配人たちのもとへ送り込むことにした。”

  ”その結果は驚くべきものだった。女性たちはそのような高価なドレスに
 非常に興味を持ち、在庫のほとんどは売れてしまったのである。”

  ”店の支配人たちはそのことに驚き、この試み以来ずっと、
 いろいろな店が繰り返し注文してくるようになり、
 その結果、工場での生産は次第に増えていった。”

  ”今ではホノルルのかなりの数の商店主は
 ミッド・パシフィック社の商品の素晴らしさを理解し始めており、
 セリグソン氏は、若い女性15人と男性2人という数の従業員では
 現在の需要をほとんどさばききれなくなっている。”

  ”また、ホノルルにある2つの大きな高校からの、
 新年度の女子生徒用制服の注文は大きな励みとなった。
 これまでずっと本土の会社に注文を出してきた彼らが、
 ハワイ製の製品に興味を示しているというのはとても喜ばしいことである。”

 ”完成したものを見れば、第一級の素材を使い、
 素晴らしい職人技を駆使していることがわかるというものだ。”

  ”ミッド・パシフィック社の現在の工場は
 100人以上を雇用できるだけの十分な大きさがある。
 セリグソン氏は、将来的に、ハワイ製のドレスや衣料品を、
 米国西海岸や、オーストラリア、ニュージーランドとその周辺の島々に
 輸出できればおもしろいだろうと考えている。”

  ”同社はすでにニュージーランドへは少しだけ出荷している。
 給料が安いわりには丁寧な作業をする従業員のおかげで、
 ハワイ製のドレスや衣料品はきっと、米国本土でも、
 西海岸製や東海岸製の商品に太刀打ちできるはずである。” 』



これは女性用の衣料品を製造している工場の話ですが、
男性用の衣料品の工場も、同様の特徴を有していると言えそうです。

つまり、賃金が安いわりに、技術を持った職人が多い、という点です。

これは、ファンダバーク教授が、最初のほうで語っていたように、
家庭での裁縫(ホームソーイング)や、オーダーメード店での仕事などで、
技術を培った人がすでに多く存在したこと、
また、日系(や中国系)の住民は概して手先が器用で、
性格的にも丁寧な仕事をすること、
などがその背景にあります。

実際、ハワイで筆者が話を聞いた日系の女性たち
(ここで話題になっている1930年代ではありませんが、
 1950年代以降に縫い仕事をしていたような女性たち)の中には、
「良妻賢母」の教えからか、学問を学んで大学に行くよりも、
裁縫学校に通って手に職をつけ、
工場や家庭で働けるようになることを親からも求められていた人は
何人もいました。

それは、プランテーションで過酷な労働を余儀なくされた「日系1世」が、
ようやくそこから抜け出し、子供(日系2世)には良い教育を受けさせ、
より良い人生を送らせてやりたいと考えた結果なのです。

そのような理由から、日系2世(や3世)の女性で、
縫い仕事をしていた人は多かったようですし、
日系2世の男性でも、衣料品メーカーを経営する人は多かったようです。

筆者がアロハシャツの歴史に興味を持つようになった大きな理由の1つが、
日系2世が歩んできた多難な人生(彼らは戦争も経験します)を
もっと知りたいと思ったからでもあります。


さて、次回は、同じ小冊子「ハワイの産業に関する調査」内の、もう1つの項目、
”衣料品と靴”をご紹介します。
お楽しみに。


(次回に続く)


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