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ハワイの衣料品製造業の歴史 その12 1925年 商工会議所のリポート(後編) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


『1925年 商工会議所のリポートが2つの衣料品工場のことをリポート(後編)

   ”このホノルルの2つの工場はどちらも、
   より多くのビジネスを獲得することに興味があり、
   それを達成するのに必要なことならなんでも進んでやりたいという
   意向を表明している。”

   ”あるベテランのセールス・マネジャーが、
   ハワイへ来て仕事をしてくれる手はずになっている。”

   ”このラインの服を今作っている2つの工場を引き継いで、
   片方はオーバーオールだけを、もう片方はワークシャツだけを作るような
   新会社を設立したらどうかと提案されている。”

   ”その継続企業はもしかしたら、株式を、
   新会社の株式と交換するかもしれないし、
   約60000ドルの流動資産はあり余るほど十分に見えるだろう。”

   ”この新会社は、現在雇っている人に加えて
   さらに約50人雇うだけの財力があるだろうだろう。
   そして米国本土の儲けの多いビジネスへと簡単に育つかもしれない。”

   ”作業服の仕事に関連する別の縫製仕事を始めることができ、
   女物のエプロン、ギンガムチェックのドレス、その他の簡単な服を
   この工場から出荷できるだろうと提案されている。”


  上に引用した調査とリポートは、カーティス・シールズ氏の手になる、
 「ホノルルが、すでに始まっている小規模産業を拡大し、新しい産業を生み出し、
 発展させていく可能性に関する」ものだが、そのリポートがきっかけで、
 ホノルル商工会議所の貿易商業工業発展委員会は、
 地元及び輸出市場向けの生産を活性化しようと継続的に努力することになった。
 上のリポートで示唆されているように、
 ホノルルの衣料品製造を活性化しようという努力は、
 地元居住者向けの生産を狙うところから始まった。
 2社が子供用遊び着をすでに生産していたとリポートが示唆しているので、
 工場生産品のごく一部は観光客にも届いていたかもしれないが、
 あの当時の観光客向け衣料品のほとんどは、
 ムサシヤ・ザ・シャツメーカーのような、
 オーダーメイドのドレスメーカーやテーラーが提供したものだった。』


(次回に続く)

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