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ハワイの衣料品製造業の歴史 その7 1922年 小売店は輸入衣料品の広告を出していた [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。

今回は、ホノルルの高級百貨店リバティ・ハウスの1920年代の広告を例に、
ホノルルの小売店はどのようなスタンスで衣料品を販売していたかについて
考察しています。

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『1922年 小売店は輸入衣料品の広告を出していた

 『パラダイス・オブ・ザ・パシフィック』誌1922年12月号に掲載された
 リバティ・ハウスのある広告は、
 ハワイの衣料品を欲しがる旅行者のマーケットが育ちつつあることを
 早くも感じさせるものだった。

  ”ホノルルで着るものはホノルルで買おう
 
   旅行者の皆様。ホノルルで着る服をどれにしようかしらと
   出発前に悩む必要はありません。こちらに到着し実際の気候を体験して、
   本当に必要なものがわかったら、空いた時間に買物すればよいのです。
   ホノルルで必要とする服のことを本土のどの店よりもよく知っていると、
   私共をお褒め下さるに違いありません。
   私共は旅行者の方々のニーズに何十年もお応えしてきました。
   最新で最良の商品を世界から集めてお待ちしております。”

 リバティ・ハウスは1920年代の10年間ずっと、
 『パラダイス・オブ・ザ・パシフィック』誌に、
 旅行者のマーケットを獲得すべく多くの広告を打っていたが、そこでは常に、
 ハワイの外から輸入した最良の服をハワイで提供できると述べている。
 1920年代の一連の広告の中で典型的なのが、
 『パラダイス・オブ・ザ・パシフィック』誌1925年12月号に掲載されている。
 その広告のタイトルは「浜遊びのためのおしゃれな服」である。
 その広告は旅行者にハワイに着いてから買うように勧め、こう述べている。

  ”ニューヨーク駐在の5人のバイヤーが我々のもとに、
  ハワイの爽やかな気候に最適な色や素材の、
  最新で最もおしゃれな女性服や子供服を送ってきます。
  しかも米国本土と同じ価格で見つかります。”

 1920年代の『パラダイス・オブ・ザ・パシフィック』誌に掲載された
 リバティ・ハウスのいくつかの広告は、
 ジャンセンやガントナーの水着を紹介している。』

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拙ブログ・その3のところで、リバティ・ハウスについて述べましたが、
筆者は、その特徴は
1「白人が経営」し、
2「官庁街近くに立地」し、
3「米国や欧州から輸入した衣料品を売る」、
4「白人相手の高級百貨店」
というところだと考えています。
(それに対して、地元の東洋系の衣料品店は、
 地元で作ったものを、主に東洋系の地元民に販売していました)

ここで教授は1920年代のハワイについて
「リゾート生活をしにやって来る、本土からの旅行者に買ってもらう衣料品の
 マーケットが拡大しているようだ」
と見ています。
ご存知のように、(大恐慌を迎える1929年までの)1920年代の米国は、
景気も良く、みんなが浮かれた「バブルの時代」で、
高級リゾート地としてのハワイも盛り上がっていたため、
旅行者向けマーケットが拡大していたのもうなずけます。
(ちなみに、ハワイを代表する高級ホテル「ロイヤルハワイアン」が開業したのも
 1927年です)

ただしそのような旅行者に売るのは、教授も引用しているように
「ハワイの気候でも着られそうな、ニューヨークで買い付けた
 最新流行のおしゃれな服」
なのです。
つまり「ハワイらしいリゾートウェア」はまだ生まれていないようなのです。
もちろん、「オーダーメイドで作った旅行者がまったくいなかった」とまでは
言い切れませんが、少なくとも目に付くほど多くはなかったでしょう。
そのことは、この当時の旅行者の写真を見てもわかります。
「くつろいだドレッシーな服を着ていた」ハイソな人たちの写真は多いですが、
アロハシャツのような「リゾートウェア」を着ている写真は見つかっていません。

アロハシャツの登場は、もう少し待たないといけません。
(次回に続く)
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