ハワイの衣料品製造業の歴史 その6 1922年 ハワイ初の衣料品製造工場 [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。
前回は、1922年から1941年までの概略について、でした。
アロハシャツの歴史で重要な、カハラとカメハメハにも触れていました。
さて今回からは、各論(年代ごとの細かな経過をたどっていくこと)になります。
『1922年 ハワイ初の衣料品製造工場
ハワイにおける衣料品工場製造の歴史は、
1922年のハワイ・クロージング・マニュファクチャリング・カンパニー
・リミテッド(ハワイ衣料品製造株式会社 以下HCMC)の操業により始まった。
同社は、卸売市場に供給する衣料品を生産するために設立された株式会社であり、
織ネームに商標を使っていた。
また同社は、ホノルルの商工人名録1922年版のリストの最初に載っている。
広告の文句は以下の通り。
「ハワイ衣料品製造株式会社。
(イラストは会社のイニシャルを使った商標)
男性、女性、子供の衣服の製造会社。
ハワイ諸島における衣服製造会社のパイオニア。
あなたの衣料品にわが社の商標が付いているか見てみてください。
卸売りのみ。」
ハワイ衣料品製造株式会社の取締役は、
社長がロバート・ウォン、副社長がチョウ・テイム、
会計責任者がラウ・チー、会計補佐がパン・シン・チョイ、
秘書がアタナ・アパナ。』
1922年に、ハワイで最初の衣料品製造会社が登場しました。
この記述では、どのような服を作っているかは不明ですが、
ファンダバーク教授の別の記述から、地元民のために
ワーク・クロージング(作業服)を作っていたようです。
また、織ネームには「会社のイニシャルを使った商標」が書かれていたとのことなので、
「HCMC」の文字をトレードマークにしていたようです。
(筆者は現物を見たことがありません)
また、社長はロバート・ウォンという人ですが、
この人の名前は、このあとも他の会社で見かけますので、覚えておいてください。
ともかく、名前を見る限りでは、中国系の人々が経営していた会社のようです。
(のちの時代に出てくるアロハシャツメーカーでも、
中国系は日系に次いで多いです。例えばハレハワイやハワイアントグス、
ラウハラなどが中国系ですね)
(次回に続く)
前回は、1922年から1941年までの概略について、でした。
アロハシャツの歴史で重要な、カハラとカメハメハにも触れていました。
さて今回からは、各論(年代ごとの細かな経過をたどっていくこと)になります。
『1922年 ハワイ初の衣料品製造工場
ハワイにおける衣料品工場製造の歴史は、
1922年のハワイ・クロージング・マニュファクチャリング・カンパニー
・リミテッド(ハワイ衣料品製造株式会社 以下HCMC)の操業により始まった。
同社は、卸売市場に供給する衣料品を生産するために設立された株式会社であり、
織ネームに商標を使っていた。
また同社は、ホノルルの商工人名録1922年版のリストの最初に載っている。
広告の文句は以下の通り。
「ハワイ衣料品製造株式会社。
(イラストは会社のイニシャルを使った商標)
男性、女性、子供の衣服の製造会社。
ハワイ諸島における衣服製造会社のパイオニア。
あなたの衣料品にわが社の商標が付いているか見てみてください。
卸売りのみ。」
ハワイ衣料品製造株式会社の取締役は、
社長がロバート・ウォン、副社長がチョウ・テイム、
会計責任者がラウ・チー、会計補佐がパン・シン・チョイ、
秘書がアタナ・アパナ。』
1922年に、ハワイで最初の衣料品製造会社が登場しました。
この記述では、どのような服を作っているかは不明ですが、
ファンダバーク教授の別の記述から、地元民のために
ワーク・クロージング(作業服)を作っていたようです。
また、織ネームには「会社のイニシャルを使った商標」が書かれていたとのことなので、
「HCMC」の文字をトレードマークにしていたようです。
(筆者は現物を見たことがありません)
また、社長はロバート・ウォンという人ですが、
この人の名前は、このあとも他の会社で見かけますので、覚えておいてください。
ともかく、名前を見る限りでは、中国系の人々が経営していた会社のようです。
(のちの時代に出てくるアロハシャツメーカーでも、
中国系は日系に次いで多いです。例えばハレハワイやハワイアントグス、
ラウハラなどが中国系ですね)
(次回に続く)
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