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ライトニング別冊ハワイ本~「アロハシャツの歴史」その4 [ライトニング]

2003年3月発行 ライトニング別冊ハワイ本 掲載
「アロハシャツの歴史」その4

(その3から続く)

 戦後、ハワイの産業や観光業をテコ入れするため、
毎年10月に「アロハウィーク」というイベントが催されるようになった。
その際、「期間中は伝統的な(実際は十数年の歴史しかないのだが)
アロハシャツを着よう」という呼びかけがなされた。
また47年頃には、冷房のない官庁や企業で働く人々が、
アロハシャツを職場で着ることを許可してほしいと各地で運動を起こし、
それが次第に認められていった。
この二つの出来事によってアロハシャツは、
観光客向けの単なるみやげ品から、地元の人も着る実用品へとその性格を変えていく。
それと共に柄も、ハワイの観光名所や風物をたくさん盛り込んだ「おみやげ柄」から、
普通に着られそうなタパ柄や花柄、風景柄へと移行していった。

07052000009-019-jpg_1647.jpg
1302.jpg
(The Hana Shirt co.のHPより引用)

そのような柄の多様化に応えるために、
50年前後には本土から多くの絵描きがハワイに移り住み、多種多様な柄を提供した。

 さらに柄が多様化するのは、
復興期の日本、主に京都のプリント生地が入るようになってからである。
51年に平和条約が結ばれ、日本からの生地の輸入も解禁された。
特に52~53年頃には日本の生地を使った和柄のアロハシャツが大量に作られ、
柄の斬新さ・珍しさから人気化した。
それは例えば鷲、虎、龍などの動物や、ハワイや日本の写実的な風景の柄だ。

Takabuki Co. 鶴・富士・小槌 表.jpg
(筆者コレクションより)

一般的にアメリカの工場は、
大量生産に適した、原色中心の抜染を得意とするのに対して、
日本は和服の捺染で培った、繊細なタッチと陰影のある
多色使いによるオーバープリントを得意としていた。
中には20色以上使った、驚異的な技による鮮やかな柄もあるほどだ。
しかも工賃が安く、少ない量でも注文に応じるなど、好まれる理由は多かった。

 こうして50年代前半に独創的な色や柄のものが数多く作られ、
アロハシャツは黄金期を迎えるのである。
(次回に続く)
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