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ライトニング別冊ハワイ本~「アロハシャツの歴史」その3 [ライトニング]

2003年3月発行 ライトニング別冊ハワイ本 掲載
「アロハシャツの歴史」その3

(その2から続く)

アロハシャツは戦後、観光客だけでなく地元市民も普段着として着るようになって、
より発展を遂げる。50年代前半には日本から質の高いプリント生地が大量にもたらされ、
和柄が再登場する。こうして黄金時代を迎えるのだ。

 1930年代中頃の、初期のアロハシャツは、個々の店が作って売るものだった。
生地は和服や布団用としてすでにあるものを使い、
主に日系女性が、家で内職仕事をしたり、
店の奥や二階に設けられた作業場で働いたりして作ったものだ。
それが30年代後半には、需要の増大と共に、
ブランフリート社とカメハメハ社が36年に、
ロイヤル・ハワイアン社が37年にそれぞれ操業を始め、
独自の柄を起こしてプリント生地を発注し、
工場で大量に縫製して店に卸すというスタイルへと変わっていった。
最大手のカメハメハ社は、39年には125台の機械と
150人以上の従業員を擁するほどの規模を誇っていた。

 ところが第二次世界大戦が始まると、
メーカーは主に軍需製品の生産をするようになり、
またプリント生地がハワイに入ってこなくなったため、
華やかな色や柄のアロハシャツはほとんど生産されなくなった。
かろうじて小さなメーカーが、あり合わせの綿生地などに、
「ハンドブロック・プリント」という版画のような手法で
素朴なプリントを施してシャツを作り、
それをみやげ物店が駐留海軍兵士向けに売っていた程度だ。

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(1942年刊行の雑誌に掲載された写真。筆者コレクションより)

(次回に続く)
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