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『ヴィンテージアロハシャツ』56~第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい●高吹勇の半生を、勝手に想像してみた(その3) [枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』]

しばらくは、2005.10.6発売/現在品切れ の拙著 
枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』から、
文章を再録します。

https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/lightning-c-401979/

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E6%BD%A4/dp/4777903990

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第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい
●高吹勇の半生を、勝手に想像してみた(その3)

(その2から続く)
それは、縫製だけでなく、プリントからすべてを
自分で手掛けた方が利益がより大きいことに気付いたためじゃないだろうか? 
そして高吹は日本に移住し、京都にあった古い校舎を買い取って染工所にして、
五五年四月から手捺染による生地のプリントやシャツの製造を始める。
これがアロハ貿易だ。
プリント生地は、ハレ・ハワイやサーフライダーなどに卸していたようだ。

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(筆者コレクションより)

また自社で作ったアロハシャツは、
「パリ・ハワイアン・スタイル」や「カイマナ・ハワイアン・スタイル」などの
レーベルを付けてカリフォルニアやハワイに輸出。

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(筆者コレクションより)

カリフォルニアでは娘婿のクラランス・ハラ氏が
そのアロハシャツを売りさばいていた。
売れ行きはなかなか良かったのだろう、
五七年にはフジ・インポート社(富士輸入株式会社)を設立して、
アメリカ本土での販売を本格化させた。

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(筆者コレクションより)

アロハ貿易ではそのほかにも、
水着、キモノ、ハッピ・ジャケット、ガウンなどを製造して輸出したり、
織りネーム、竹ボタン、装飾品、そして磁器などを
他社から調達して輸出したりもしていた。

 ところが高吹は、ハラさんの記憶が正しければ、一九六〇年頃に死去。
アロハ貿易は経営者が変わってその後も営業を継続したようだが、
「パリ・ハワイアン」のアロハシャツや、アロハシャツ用のプリント生地は、
六〇年頃を境に、もはや作られることはなかった。
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