SSブログ

『ヴィンテージアロハシャツ』55~第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい●高吹勇の半生を、勝手に想像してみた(その2) [枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』]

しばらくは、2005.10.6発売/現在品切れ の拙著 
枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』から、
文章を再録します。

https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/lightning-c-401979/

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E6%BD%A4/dp/4777903990

*****************************************

77790399.jpg

第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい
●高吹勇の半生を、勝手に想像してみた(その2)

(その1から続く)
 そんな風に貴金属販売の傍ら、輸入業も営んでいた高吹だが、
一九五〇年頃、本格的に輸入業に転業し、
同じ頃「ヴィクトリー・インポート社」を設立する。
将来この職種が大きく伸びると見込んだのだろう。
そして日本からアロハシャツやキモノ、磁器といった
オリエンタルな雑貨を輸入するようになる。
「ヴィクトリー・インポート」ネームのアロハシャツもこの頃、
つまり五〇年から五二年頃に作られたものと推測できる
(このブランドには、「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」のレーベルと
「メイド・イン・ジャパン」のレーベルの二種類がある)。

1a10.jpg
(筆者コレクションより)

それは、京都の捺染業者にアロハシャツ用のプリント生地を発注し、
京都か大阪あたりでシャツに仕立てさせて、ハワイへ輸入したものだろう。

 一九五〇年頃と言えば、ちょうど日米間の貿易が正式に再開され、
朝鮮戦争が勃発して景気も良くなった時期と重なる。
輸入ビジネスは順調だったはずだ。
そんな状況で徐々に事業を拡大していったのだろう。
五二年頃には、エドウィン・マミヤを総支配人として雇い、
アロハシャツ・ビジネスに本腰を入れる。
日本から輸入したプリント生地を、ハワイの日系人の主婦に家庭で縫製させて、
「イオラニ」ブランドのアロハシャツを生産し始めたのだ。

whirose58-img600x463-12099549362008.jpg
(筆者コレクションより)

この「イオラニ」のビジネスはおそらくうまくいっていたはず。
ところが五四年にはその営業権をケイジ・カワカミに譲渡し、
ヴィクトリー・インポート社も清算する。
(次回に続く)
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。