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『ヴィンテージアロハシャツ』53~第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい●ハワイでもたまたま高吹勇の話題が出た(その2) [枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』]

しばらくは、2005.10.6発売/現在品切れ の拙著 
枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』から、
文章を再録します。

https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/lightning-c-401979/

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E6%BD%A4/dp/4777903990

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第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい
●ハワイでもたまたま高吹勇の話題が出た(その2)

(その1から続く)
 さて、この二〇〇二年六月のハワイ滞在時には面白いことがあった。
「パシフィック・スポーツウェア社」を経営していた
レイ・タナカ氏に話を聞いていたら、偶然、高吹の話が出てきたのだ。
予想していない展開だったので、ちょっと驚いた。

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(筆者コレクションより)
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(ヤフオク出品物より引用)

「イサム・タカブキとエドウィン・マミヤがやっていた『イオラニ』は、
ハワイでアロハシャツを流行させる役割を果たしたと私は思います。
ところが彼らはハワイには工場を持っていなかったんです。
もしあったとしても、とても小さい工場だったでしょうね。
彼らは主に家庭で縫わせるなど下請けに出してシャツを作っていました。
私も彼のためにシャツを作っていた時期があります。
タカブキは私の親しい友人で、あの頃はほとんど毎日、
マミヤと一緒に私の工場に来ていましたよ。
私が思うに、タカブキが『イオラニ』のオーナーで、
マミヤは彼のためにビジネスを取り仕切っていたんでしょう。
つまりタカブキは投資しただけで、実際はマミヤがすべてをやっていたんだと思います。
でもハワイで作っていたのは全体のうちのごくわずかで、
ほとんどは、輸入した日本製のシャツでした。
タカブキは、シャツだけでなくいろいろなものを輸入していましたよ。
だから彼は、アロハシャツのメーカーと言うよりは、
どちらかというと、輸入業者だったんです。
その後タカブキは、『イオラニ』をケイジ・カワカミに売り、
心臓病か何かで亡くなりました」

 「イオラニ」のシャツは、
家庭の主婦の内職によって作られていたという話はとても意外だった。
また「パシフィック・スポーツウェア」のレイ・タナカと高吹は友人で、
彼が縫製を手伝っていたというのも驚きだった。

 高吹勇には本当にいろいろな場面で遭遇する。
他のメーカーの関係者をインタビューしている最中に、
まさか彼の話題が出てくるなんて・・・・。
彼の魂が、僕について回って、
自分のことを知ってもらいたがっているような気さえしてくる。
「僕が調べないで誰が調べる」とさえ思えてくる。
こうして高吹勇は、僕の中でますます特別な存在になっていった。
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