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『ヴィンテージアロハシャツ』52~第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい●ハワイでもたまたま高吹勇の話題が出た(その1) [枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』]

しばらくは、2005.10.6発売/現在品切れ の拙著 
枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』から、
文章を再録します。

https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/lightning-c-401979/

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E6%BD%A4/dp/4777903990

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第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい
●ハワイでもたまたま高吹勇の話題が出た(その1)

 翌年の二〇〇二年六月、半月ほどハワイに滞在し、
資料を探したり、関係者に会って話を聞いたりした。
その時にも、高吹勇のことが気になり、いろいろ調べてみた。

 高吹勇は、一九二九年にはオアフ島中部にあるワイパフ
(プランテーションがあり、日系人の労働者が多く住んでいたところ)に住み、
「ワイパフ・モーター社」の営業マンとして働き、
彼の妻、スナは、教師をしていた。
その後、高吹は、生命保険会社や自動車販売店などで営業マンを経験。
四〇年発行の「昭和十五年日布時時布哇年鑑」には
「高吹勇:(出身)香川:(職業)金属売買商」と書かれている。
四七年には、ホノルルに「ダイヤモンド質店」を構え、
質草仲買人として宝石や腕時計、置時計などを売買。
四九年には「ヴィクトリー宝石店」と改称して店舗を移転。
さらに五〇年頃、今度は輸入業に転換。
おそらくその頃「ヴィクトリー・インポート社」を設立して、
各種雑貨の輸入と卸しを行うようになったのだろう。

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(筆者コレクションより)

五二年頃から、エドウィン・マミヤという人物を総支配人として雇用。
五四年頃には「イオラニ」をケイジ・カワカミに営業譲渡
(カワカミは「ザ・イオラニ・カンパニー」、
のちの「イオラニ・スポーツウェア」を設立する)。
五五年には日本に移住した
(同年、エドウィン・マミヤは「リーフ・スポーツウェア」の支配人となる)。
(次回に続く)
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