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『ヴィンテージアロハシャツ』50~第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい●アロハ貿易は一九六〇年頃まで アロハシャツを作った?(その2) [枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』]

しばらくは、2005.10.6発売/現在品切れ の拙著 
枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』から、
文章を再録します。

https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/lightning-c-401979/

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E6%BD%A4/dp/4777903990

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第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい
●アロハ貿易は一九六〇年頃までアロハシャツを作った?(その2)

(その1から続く)
 これらの記述から、アロハ貿易は、何度か移転して、
一九六二年(あるいはそれ以降)まで営業していただろうということがわかった。
ただしそれは、カリフォルニアのハラさんから聞いた話と少し食い違っている。
ハラさんが「ゴー・ベアフット」を始めた理由の一つは、
一九六〇年に「義父が亡くなって、
シャツが送られてこなくなったため」だと言っていたのだ。
もし高吹が死去したのが一九六〇年で、
それ以降はアロハシャツを作っていなかったというのが本当なら、
六〇年以降は、(アロハ貿易という会社があったことはわかっているのだから)
高吹の妻かそれ以外の第三者が経営を引き継ぎ、
でもアロハシャツはもう作っていなかった、ということになる。
それはちょうど、「六〇年頃を境に、
アロハシャツはレーヨン製からコットン製に変わっていった」という一般的な傾向や、
「『パリ・ハワイアン』のアロハシャツはほとんどがレーヨン製で、
コットン製はほとんどない」という事実とも重なってくる。
やはりアロハ貿易は、一九六〇年までしか、アロハシャツを作っていなかったのだろうか?
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