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『ヴィンテージアロハシャツ』49~第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい●アロハ貿易は一九六〇年頃まで アロハシャツを作った?(その1) [枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』]

しばらくは、2005.10.6発売/現在品切れ の拙著 
枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』から、
文章を再録します。

https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/lightning-c-401979/

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E6%BD%A4/dp/4777903990

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第五章 日系人タカブキの半生を解き明かしたい
●アロハ貿易は一九六〇年頃までアロハシャツを作った?(その1)

 同じ年の八月、大阪で、ある仕事を終えた帰りに、
一日だけ時間ができたので、京都に立ち寄ることにした。
この時は、京都貿易協会という団体の事務所を訪れた。
そこには会員名簿はなかったが、毎年海外向けに発行されていた
「ザ・ガイド・オブ・キョウト」という会報誌があったので、
それを閲覧させてもらった。
じっくり読んでみると、アロハ貿易に関する記述がいくつか見つかった。
またまた大きな前進だ。僕は読んでいてワクワクした。
少し細かい話になるが、その記述の移り変わりをここに書き写しておこう。

 アロハ貿易の名前は、一九五七年(昭和三二年)五月に刊行された
「五七年版」に初めて登場する。住所は「右京区西院高田町一〇番地」。
カリフォルニアで書き写してきたのと同じ場所だ。
取扱品目は「織物、綿・レーヨン・絹のハンド・プリント生地とその完成品、磁器」。
「五八年版」では、「左京区川端二条上ガル」に移転。
「綿及びレーヨンのプリント生地全般、日本の装飾品全般、東洋の服飾全般の輸出」
を行っていた。
「五九年版」は本が見当たらず不明だが、
「六〇年版」と「六一年版」では、
「綿・レーヨン・絹のハンド・プリント生地と、
アロハシャツ、水着、キモノ、ハッピ・ジャケット、ガウンなどの完成品の輸出及び製造。
生地、織りネーム、竹ボタン、日本の装飾品と磁器の輸出」と書かれている。
「六二年版」では、住所は「神戸市葺合区八幡通五-六-七」となるが、
事業内容は六〇、六一年と同じ。
そして「六三年版」では記載そのものがなくなっていた。
(次回に続く)
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