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『ヴィンテージアロハシャツ』11~ 第一章 ヴィンテージ柄を楽しもう●「王家の肖像柄」がもたらした意外な波紋 [枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』]

しばらくは、2005.10.6発売/現在品切れ の拙著 
枻文庫『ヴィンテージアロハシャツ』から、
文章を再録します。

https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/lightning-c-401979/

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E6%BD%A4/dp/4777903990

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第一章 ヴィンテージ柄を楽しもう
●「王家の肖像柄」がもたらした意外な波紋

 カメハメハ大王やカラカウア王、リリウオカラニの肖像画と王家の紋章、
そしてその間にレイを散らした、いわゆる「王家の肖像柄」。

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(The Hana Shirt Co.さんのHPより引用)

これを描いたのは、日系人画家、小田安太郎という人物だ。
描いた人がわかっている柄は珍しいから、これは貴重な一枚と言える。

 彼は日本とハワイの両方で学んだ、おそらく日系二世。
学校を卒業すると、ハワイ・タイムズ(日布時事)に入り、
新聞に挿し絵を描く仕事を担当した。

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(ピック・ザ・ハワイさんのHPより引用)

その後、第二次世界大戦中にトング出版という出版社に移り、
会社の刊行物にイラストを描いていた。アロハシャツの柄を描く仕事は、
そのような本業のかたわら、副業として引き受けていたわけだ。

 彼は多作で知られていた。しかも四〇年代後半には、
ベストセラーをかなり生み出したようだ。
中でも、ナイト・ブルーミング・シリウス(月下美人)が縦に連なり、
その間に星をちりばめた、モノトーンのボーダー柄は、
数年間もヒットし続けたという。また、ランの花をメインに据え、
その周りにカトレアの花を並べた柄も、当時はよく知られていた柄だという。
どちらの柄も、現時点ではまだ特定できずにいるのが非常に残念だ。

 そんな彼が四〇年代後半に描いた「王家の肖像柄」は、発売当時、
ちょっとした物議を醸した。というのも、生地をどういう向きで使っても、
いくつかの肖像画が下向きになってしまうからだ。

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(The Hana Shirt Co.さんのHPより引用)

当時の新聞には「多くの議論があった」とだけ記されているが、おそらく
「王家の肖像画を逆向きに使うとはけしからん」といった声が挙がったのだろう。
ちなみにこの肖像画、元は州立公文書館にあるものだが、
当時の雑誌「ハワイアン・ライフ」にずらりと掲載されており、
そこから手っ取り早く描き写したのかもしれない。
しかもそれが、彼が勤めていたトング出版から出された雑誌なのだから、
なおさら疑惑は深まる。

 さて、この小田安太郎という人物、
あるアロハシャツ・メーカーと意外なつながりを持っていた。
彼は戦後の一時期、「ハワイ・グラス・アンド・アート」という会社を、
マリヒニの創業者、レイモンド・ササキと共同経営していたのだ。

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(岡山のハワイアンスタイルさんのHPより引用)

この会社は、熱帯の花のようなハワイらしい風物の絵をエッチングした、
お土産用のガラスプレートやグラスを製造していたところ。
会社を共同経営していたのだから二人はそこそこ親しかったわけだし、
「王家の肖像柄」のシャツがマリヒニ製であることから言っても、
小田は初期のマリヒニの専属デザイナーだったのかもしれないのだ。
少なくともマリヒニのためにそこそこの数の柄を描いていたのは、
ほぼ間違いないだろう。ちなみに、ハワイの人名録には
一九五四年以降の小田の記載がないので、五三年頃、
死亡したか日本に渡ったかしたようである。
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