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ハワイの新聞記事から その392 1979年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー 補足と経歴(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1979年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューの
補足と、彼女の経歴を
翻訳しています。

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー
補足と経歴(1)
まとめ/
キャサリン・B・アレン

1956年にスタートした
ワットムル投資会社は、
最初アラコア・アパートメント・
ホテル(コア通り2443番地)に
あり、後にワットムル夫人が
入居したのは
このオフィスだった。

イースト・インディア・
ストアの、G・J・ワットムルの
持分は、1956年に売却された。

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エレン・ジェンセン・ ワットムルの経歴

1897年11月26日、オレゴン州
ポートランドにて、
デンマーク人の両親
(カールとマリーの
クリステンセン・ジェンセン)
のもとに生まれる。

オレゴン州ポートランドの
公立学校リード・カレッジに
1914年から17年まで在校。

学校外の音楽教育も受ける。

1920年1月1日に
ホノルルに移る。

ハワイのハナハウオリ・
スクールで音楽を教え、
また長年にわたり
個人の生徒にも
音楽を教えていた。

1922年7月5日に
カリフォルニア州
レッドウッド・シティにて、
インド・シンド州
ハイデラバード出身の
ゴビンドラム・ジャマンダス・
ワットムル氏と結婚する。

ライラ・アン・サーニー
(ブリジ・ラル・サーニー夫人)、
デイヴィッド・ワットムル、
ラジャ・ワットムル・ホメイ
という3人の子供と、
8人の孫がいる。

1923年、米国連邦最高裁判所が、
インドの国民は
米国市民権を得られないとする
判決を下したため、
米国在住インド人の妻は
米国市民権を失うことになった。
その結果、
ハワイ州女性有権者連盟や
アジア系の親を持つ女性たちと
協力し、外国系を含む
アメリカ生まれの女性が
夫の国籍に関係なく
アメリカ国籍を保持できるよう、
ケーブル法を改正させることに
成功した。

法律が改正されると、
1931年5月5日、
ハワイ連邦裁判所において、
女性として初めて
帰化が認められた。

インドとアメリカの間の
理解を深めるために
ワットムル財団が設立された
1942年に、エレンは
分配委員会の委員長に就任し、
インド人への、奨学金、
フェローシップ、旅行補助金、
客員教授などの授与を指揮した。

1956年、副理事長に就任。

多くのワットムル財団
奨学生たちは、
優秀な成績を収めており、
そのうちの何人かは、
インド政府の閣僚や
省庁の役職に就いている。

また、国際連合
(特に国連食糧農業機関)の
役職に就いている者もいる。

また、米国や他の国々で
優秀な地位に就いている人も
少なくない。

1940年代後半には、
エレンはカリフォルニア大学
ロサンゼルス校で、
あらゆる人種や国籍の留学生の
さまざまな問題に関わる
いくつかの委員会の
委員を務めた。

留学生事務所の所長や、
大学の宗教会議や
留学生センターと連携し、
住居や学外での、
学生活動や学生問題などに
取り組んできた。』




(次回に続く)

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