ハワイの新聞記事から その330 1956年 7つの会社、新しいアパレル・センターで増産へ(2) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、「アパレル・
センター・ビル」を紹介する、
1956年の記事を
翻訳しています。
****************************
『7つの会社、
新しいアパレル・センターで
増産へ(2)
文/ナンシー・ハーロッカー
衣料品製造は1954年には
800万ドルのビジネスと
なったが、それ以降も
成長は続いており、
現在ではハワイの主要産業の
1つとなった。
成長の事実を物語る
最近の変化は、
7つの衣料品製造会社の
集積であり、
この7社は現在、
新しいアパレル・センターの
建物で自分たちの事業を
営んでいる。
その住所はマカロア通り
1538番地であり、
ケエアウモク通りから
少し入ったところである。
この魅力的な緑色の建物は
ウェイクフィールド・サンズ・
アンド・カンパニーが
出資したもので、
各社に広々とした部屋を
提供している。
このセンターに入居する
会社の中の1社は
ノエル・オブ・ハワイであり、
同社はピア7(訳注:7番埠頭)
にあった以前の本社から
移転してきた。』
****************************
この新聞記事の隣には、
「ノエル・オブ・ハワイ」の
広告が掲載されています。
そして同社の住所が
「マカロア通り1538番地」
であったため、
アパレル・センターの
建物全体の住所も
同じ番地であると誤解して
上のような記事を
書いてしまったようですが、
実際は、1つの建物に
「マカロア通り1522番地」から
「マカロア通り1538番地」までの
複数の住所が
割り振られているのです。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、「アパレル・
センター・ビル」を紹介する、
1956年の記事を
翻訳しています。
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『7つの会社、
新しいアパレル・センターで
増産へ(2)
文/ナンシー・ハーロッカー
衣料品製造は1954年には
800万ドルのビジネスと
なったが、それ以降も
成長は続いており、
現在ではハワイの主要産業の
1つとなった。
成長の事実を物語る
最近の変化は、
7つの衣料品製造会社の
集積であり、
この7社は現在、
新しいアパレル・センターの
建物で自分たちの事業を
営んでいる。
その住所はマカロア通り
1538番地であり、
ケエアウモク通りから
少し入ったところである。
この魅力的な緑色の建物は
ウェイクフィールド・サンズ・
アンド・カンパニーが
出資したもので、
各社に広々とした部屋を
提供している。
このセンターに入居する
会社の中の1社は
ノエル・オブ・ハワイであり、
同社はピア7(訳注:7番埠頭)
にあった以前の本社から
移転してきた。』
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この新聞記事の隣には、
「ノエル・オブ・ハワイ」の
広告が掲載されています。
そして同社の住所が
「マカロア通り1538番地」
であったため、
アパレル・センターの
建物全体の住所も
同じ番地であると誤解して
上のような記事を
書いてしまったようですが、
実際は、1つの建物に
「マカロア通り1522番地」から
「マカロア通り1538番地」までの
複数の住所が
割り振られているのです。
(次回に続く)
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