ハワイの新聞記事から その82 1939 ハワイの衣料品産業(18) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、『ホノルル・アドヴァタイザー紙』に掲載された、
1939年の記事を翻訳しています。
内容は、ハワイの衣料品産業に関する文章です。
長かったこの記事も今回で終わりとなります。
ハワイの衣料品産業(18)
文/ローナ・アーレン
3年前(訳者補足:1936年)には
本土に運ばれたハワイ製の服は無かったという事実を考えれば、
まだ生まれたばかりのハワイの衣料品産業が、
急速で、世間をあっと言わせるような成長を遂げたことがよくわかる。
それにもかかわらず、昨年、50万ドル相当を超えるハワイ調の遊び着が、
合衆国中の百貨店で特集され、
(訳者補足:東海岸の)コニー・アイランドから
(訳者補足:西海岸の)パーム・スプリングスに至るまでの全米のビーチで
着られた(訳者補足:のは驚くべきことである)。
アメリカのファッション、そして「アメリカ流の」生活や着る服に
ますます重点が置かれる中で、
ファッション・シーンに占めるハワイの位置は
きっとここ数年、より重要になっているのであろう。
ハワイのデザイナーたちが、
ハワイならではのインスピレーションを得るという経験を増やすにつれて、
かつて観光客たちが
「ハワイから買って帰ってきたこの楽しいシャツを見てよ」と言っていた時代から、
ハワイが、世界でのスポーツウェア製造の主要な中心地の1つであるという
受けるに足る評判を獲得している今日に至るまでには、
著しい変化が起こっているのである。』
ハワイのスポーツウェアは、
カメハメハやカハラ(当時のブランフリート)が創業した1936年から
本格的に生産され始め、
そのわずか2年後の1938年には、
50万ドル相当を超えて全米の百貨店で特集(重点的に販売)され、
東海岸から西海岸までの全米のビーチで着られた、というのです。
戦後の1940年代後半にハワイアン・ファッションのブームがあったことは
比較的よく知られていますが、
戦前の1930年代後半にも、そこそこ大きなブームが、
しかも全米規模であったということは、
意外に知られていないかもしれませんね。
たまたまネットサーフィンしていて、素晴らしい服を見つけたので
ご紹介しておきます。
この女性用の水着 ↓ は、
この記事の時代(1930年代末頃)のものだと筆者は推測します。
https://thevintagetraveler.wordpress.com/tag/hawaiian-shirt/
(The Vintage Traveler さんのブログより引用)
素材は縮緬(もしかしたらシルクの縮緬かもしれません)で、
柄はハワイ柄です。
縮緬ということからも、また絵のタッチから言っても
日本製の生地で間違いないでしょう。
ボタンは初期型のココナッツボタンです。
織ネームは、戦後も使われているものなので、
それだけで年代を特定するのは難しいですね。
ただし、逆に言えば、この織ネームは「戦前にも使われていた」ことを示しており、
今後この織ネームが付いた製品を見かけたときには、
「戦前製の可能性もありうる」という目で見ないといけませんね。
筆者は何点か、この織ネームが付いたヴィンテージ・アロハシャツを所有しているので、
「戦前製の可能性」があることも念頭に入れて、今後検証したていきたいと思います。
なかなかいい記事でしたね。
次回からは新しい新聞記事をご紹介します。
お楽しみに。
(次回に続く)
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、『ホノルル・アドヴァタイザー紙』に掲載された、
1939年の記事を翻訳しています。
内容は、ハワイの衣料品産業に関する文章です。
長かったこの記事も今回で終わりとなります。
ハワイの衣料品産業(18)
文/ローナ・アーレン
3年前(訳者補足:1936年)には
本土に運ばれたハワイ製の服は無かったという事実を考えれば、
まだ生まれたばかりのハワイの衣料品産業が、
急速で、世間をあっと言わせるような成長を遂げたことがよくわかる。
それにもかかわらず、昨年、50万ドル相当を超えるハワイ調の遊び着が、
合衆国中の百貨店で特集され、
(訳者補足:東海岸の)コニー・アイランドから
(訳者補足:西海岸の)パーム・スプリングスに至るまでの全米のビーチで
着られた(訳者補足:のは驚くべきことである)。
アメリカのファッション、そして「アメリカ流の」生活や着る服に
ますます重点が置かれる中で、
ファッション・シーンに占めるハワイの位置は
きっとここ数年、より重要になっているのであろう。
ハワイのデザイナーたちが、
ハワイならではのインスピレーションを得るという経験を増やすにつれて、
かつて観光客たちが
「ハワイから買って帰ってきたこの楽しいシャツを見てよ」と言っていた時代から、
ハワイが、世界でのスポーツウェア製造の主要な中心地の1つであるという
受けるに足る評判を獲得している今日に至るまでには、
著しい変化が起こっているのである。』
ハワイのスポーツウェアは、
カメハメハやカハラ(当時のブランフリート)が創業した1936年から
本格的に生産され始め、
そのわずか2年後の1938年には、
50万ドル相当を超えて全米の百貨店で特集(重点的に販売)され、
東海岸から西海岸までの全米のビーチで着られた、というのです。
戦後の1940年代後半にハワイアン・ファッションのブームがあったことは
比較的よく知られていますが、
戦前の1930年代後半にも、そこそこ大きなブームが、
しかも全米規模であったということは、
意外に知られていないかもしれませんね。
たまたまネットサーフィンしていて、素晴らしい服を見つけたので
ご紹介しておきます。
この女性用の水着 ↓ は、
この記事の時代(1930年代末頃)のものだと筆者は推測します。
https://thevintagetraveler.wordpress.com/tag/hawaiian-shirt/
(The Vintage Traveler さんのブログより引用)
素材は縮緬(もしかしたらシルクの縮緬かもしれません)で、
柄はハワイ柄です。
縮緬ということからも、また絵のタッチから言っても
日本製の生地で間違いないでしょう。
ボタンは初期型のココナッツボタンです。
織ネームは、戦後も使われているものなので、
それだけで年代を特定するのは難しいですね。
ただし、逆に言えば、この織ネームは「戦前にも使われていた」ことを示しており、
今後この織ネームが付いた製品を見かけたときには、
「戦前製の可能性もありうる」という目で見ないといけませんね。
筆者は何点か、この織ネームが付いたヴィンテージ・アロハシャツを所有しているので、
「戦前製の可能性」があることも念頭に入れて、今後検証したていきたいと思います。
なかなかいい記事でしたね。
次回からは新しい新聞記事をご紹介します。
お楽しみに。
(次回に続く)
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