ハワイの新聞記事から その47 1960 エルシー・ダースの芸術的才能(11) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、ホノルル・アドヴァタイザー紙の1960年の記事を翻訳しています。
話題は、戦前はテキスタイル・デザイナーとして活躍し、
戦後はドレスのデザイナーとなったエルシー・ダースについてです。
『エルシー・ダースの芸術的才能(11)
文/ペギー・マッケンジー
エルシーはローマで気の利いた複数の専門店に興味をそそられ、
こう思うようになった。
「もし仮に私が小さな店を持っていれば、
服飾デザインに関して日ごろから思っていることに
興味を持てるかもしれないわ。」
そして彼女は、テキスタイル・デザイナーとしての20年のキャリアを引っ提げて
ニューヨークに行き、
その年は「ニューヨーク市の歴史上最も暑い夏であった」のであるが、
型紙作りを学ぶために毎日学校に通った。
その後ホノルルに戻り、店を開いた。
現在はヒロに住んでいる韓国系女性、シルヴィア・ガンバーグは
2年前までエルシーの共同経営者として活動していたが、
今も「ビジネスの終わり」をさばいている(訳注:後始末をしている)。』
(次回に続く)
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、ホノルル・アドヴァタイザー紙の1960年の記事を翻訳しています。
話題は、戦前はテキスタイル・デザイナーとして活躍し、
戦後はドレスのデザイナーとなったエルシー・ダースについてです。
『エルシー・ダースの芸術的才能(11)
文/ペギー・マッケンジー
エルシーはローマで気の利いた複数の専門店に興味をそそられ、
こう思うようになった。
「もし仮に私が小さな店を持っていれば、
服飾デザインに関して日ごろから思っていることに
興味を持てるかもしれないわ。」
そして彼女は、テキスタイル・デザイナーとしての20年のキャリアを引っ提げて
ニューヨークに行き、
その年は「ニューヨーク市の歴史上最も暑い夏であった」のであるが、
型紙作りを学ぶために毎日学校に通った。
その後ホノルルに戻り、店を開いた。
現在はヒロに住んでいる韓国系女性、シルヴィア・ガンバーグは
2年前までエルシーの共同経営者として活動していたが、
今も「ビジネスの終わり」をさばいている(訳注:後始末をしている)。』
(次回に続く)
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