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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その116 1960年代の文化的背景(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は「1960年代の文化的背景」についてです。



『第7章「1960年代:州昇格後の時代

 文化的背景(3)

 ドレスに関しては、本土から輸入された服がより人気となった一方で、
アロハ服は米国的な服のスタイルに似てきた。

ただそうは言ってもアロハ服は、祝賀会であり着飾るイベントでもある
アロハ・フライデー用に使われ続けたのではあるが。

アロハ服は米国のカタログ会社、
特にシアーズ、モンゴメリー・ウォードそしてJCペニーズを通して
製造され販売された。

1960年代前半の本土での保守主義は、
依然として古いしきたりにかなりとらわれがちなハワイでは
進んで受け入れられた。(続)』




上の記述の中で、特に
「アロハ服は米国のカタログ会社、
 特にシアーズ、モンゴメリー・ウォードそしてJCペニーズを通して
 製造され販売された。」
という部分について、筆者の考えを述べたいと思います。

まず、「カタログ会社」という定義は少し大雑把ではないかと考えます。
この3社はカタログ会社という側面も確かにありましたが、
その一方で店舗も構えていましたし、
さらに言えばカタログ用商品と店舗販売用商品は
微妙に違ったのではないかと推測しているからです。

そしてこの3社を並列に扱うのも正確ではないと考えています。
なぜならハワイでの立ち位置がかなり異なるからです。

順番に説明しましょう。

まず、アロハ服(ハワイ調の柄の男性服や女性服)が、
これらの会社のカタログで大々的に売られていたということが
筆者が調べた限りでは確認できませんでした。

例えば1950年代前後のシアーズのカタログの、シャツのページを
じっくりと探しましたが、アロハ服はほとんど見つかりませんでした。
このようなところから、カタログ用商品は全体の一部であり、
アロハ服は店舗販売用商品が多かったのではないかと筆者は考えています。

そしてシアーズは1940年代からハワイ(オアフ島)に店舗を構え、
メーカーに作ってもらった服に自社の織ネーム(ブランド名はホアロハ)を
付けて売っていました。
特にアロハ服に関しては、本社主導ではなく、
ハワイ(店舗なのか支社なのかはわかりませんが)主導で行われていたようです。

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(筆者コレクションより)

ホアロハの織ネームには「メイドアンドスタイルドインハワイ」と
記されています。


それに対してモンゴメリー・ウォードは、ハワイではなく、
カリフォルニアで作られていた形跡があります。

モンゴメリー・ウォードのブランドは「ブレント」ですが、
「カリフォルニア」の文字がよく出てきます。
カリフォルニアのメーカーに生産委託していたと思われます。

ブレント 織ネーム.jpg

そして、ハワイにはモンゴメリー・ウォードの店舗はなかったようです
(ハワイの新聞の広告で見たことがありません)し、
ハワイ企画でもなさそうです
(メイドインハワイ表記のブレントは見たことがありません)。


最後のJCペニーズは、
古くは「ペニーズ・トップフライト」、その後「ペニーズメイドインジャパン」
などの織ネームがありますが、
それらがどこで企画されていたのかは実はよくわかりません。

DSCN7090.JPG

DSCN9563.JPG

(筆者コレクションより)

その後「ペニーズハワイ」の織ネームが出てきます。

DSCN6264.JPG

(筆者コレクションより)

ハワイでペニーズの新聞広告が出てくるのは1966年以降
(その頃店舗を出したようです)なので、
「ペニーズハワイ」はそれ以降の製品と推測されます。


このように、アロハ服に関しては3社3様なのです。



(次回に続く)

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