リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その80 1945年~1950年代半ばの男性服(2) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
前回から、「1945年~1950年代半ばの男性服」、
つまりアロハシャツについて語られています。
『第5章「1945年~1950年代半ば
:クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)
男性服(2)
(続)
ハリー・トルーマン大統領や、エンターテイナーのアーサー・ゴッドフリーが
アロハシャツを着て人々の前に姿を現すと、
そのことがまたアロハシャツの人気に拍車をかけた。
衣料品メーカーはそれまでずっと、
概して米国本土から生地を買っていたが、
そのような生地会社は最低1万ヤード(訳注:約9144m)分の操業
(訳注:輪転機を回すこと)を要求した。
それに対して日本の工場の最低操業は
3000ヤード(訳注:約2743m)ちょうどであったため、
戦前、ハワイの衣料品メーカーはしばしば日本から反物を入手していた。
第二次世界大戦中の輸出入の中断が、
アロハシャツ産業に劇的な変化をもたらしたのである。』
アーサー・ゴッドフリーは、デューク・カハナモクと親交があったようなので、
アロハシャツを着ていたでしょうが、
ハリー・トルーマン大統領はマイアミやキーウェストに行っていたようなので、
アロハシャツではなく、マイアミシャツを着ていたのではないかと思います。
(スター・アドヴァタイザーのHPより引用)
(https://www.trumanlittlewhitehouse.comより引用)
(https://www.whitehousehistory.orgより引用)
ただし、上の最後の画像の、左下のシャツは、
はっきりと見えないので確証はありませんが、
おそらく「カハラの、レーヨン抜染のパレオ柄」だと思われ、
ハワイ製のアロハシャツも、どこかで入手して着ていたのかもしれません。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
前回から、「1945年~1950年代半ばの男性服」、
つまりアロハシャツについて語られています。
『第5章「1945年~1950年代半ば
:クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)
男性服(2)
(続)
ハリー・トルーマン大統領や、エンターテイナーのアーサー・ゴッドフリーが
アロハシャツを着て人々の前に姿を現すと、
そのことがまたアロハシャツの人気に拍車をかけた。
衣料品メーカーはそれまでずっと、
概して米国本土から生地を買っていたが、
そのような生地会社は最低1万ヤード(訳注:約9144m)分の操業
(訳注:輪転機を回すこと)を要求した。
それに対して日本の工場の最低操業は
3000ヤード(訳注:約2743m)ちょうどであったため、
戦前、ハワイの衣料品メーカーはしばしば日本から反物を入手していた。
第二次世界大戦中の輸出入の中断が、
アロハシャツ産業に劇的な変化をもたらしたのである。』
アーサー・ゴッドフリーは、デューク・カハナモクと親交があったようなので、
アロハシャツを着ていたでしょうが、
ハリー・トルーマン大統領はマイアミやキーウェストに行っていたようなので、
アロハシャツではなく、マイアミシャツを着ていたのではないかと思います。
(スター・アドヴァタイザーのHPより引用)
(https://www.trumanlittlewhitehouse.comより引用)
(https://www.whitehousehistory.orgより引用)
ただし、上の最後の画像の、左下のシャツは、
はっきりと見えないので確証はありませんが、
おそらく「カハラの、レーヨン抜染のパレオ柄」だと思われ、
ハワイ製のアロハシャツも、どこかで入手して着ていたのかもしれません。
(次回に続く)
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