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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その22 パラカ(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は、「20世紀初頭のパラカ」に関する記述を翻訳しています。



『第3章 20世紀初頭

  パラカ(3)

 ハワイの男性たちは遅くとも1930年までにはすでに西洋の服に馴染んでいた。

カリフォルニアの船乗りたちが着ていた、
厚手のコットンのゆったりしたワーク・シャツ、
通称「1000マイル・シャツ」を、
ハワイの男たちは裾をトラウザーの外に出して着ていたのである。

このシャツは帆船を経由してハワイにもたらされたのだが、
それを最初に着始めたのは中国系労働者たちであった。

この丈夫なシャツがパラカの布地で作られたとき、パラカシャツと改名され、
1920年代にプランテーション労働者向けに大量生産された。

このときハワイでは、バロン・タガログと呼ばれる、
薄手で涼しい長袖の、フィリピンの男性向けシャツもまた、
裾をトラウザーの外に出して着られていた。

さらに、1930年代以前のハワイには、
中国系、日系、西洋系のオーダーメードのテーラーがすでにあり、
それらを混ぜ合わせようとする多民族の力によって舞台が整えられ、
アロハシャツは生み出されたのである。』




こちら ↓ はいろいろな本にも出てくるパニオロ(ハワイのカウボーイ)の写真ですが、
彼が着ているのがパラカ・シャツです。

パニオロ.jpg

そして上の記述にも出てくるように、
1920年代に、日系のユニオン・サプライ社や、
セイラーモク・プロダクツなどが創業して
ワーク・クロージングの工場生産・大量生産を始めたのちに
パラカ・シャツはハワイに広く普及していきました。

ユニオン・サプライ パラカ・ジャケット.jpg

(ユニオン・サプライのパラカ・ジャケット。サンサーフのHPより引用)


ちなみに、上の記述に出てくる、
フィリピン発祥のシャツ「バロン・タガログ」というのは、
こんな ↓ シャツだそうです。

a56653b3946fe707363ab1cbaa61d81c.jpg

(ブログ「ボイボイ日記・ダバオリターンズ」より引用)
https://blog.goo.ne.jp/yukkun03/e/867e654063d1ba580a1520cb8a344828

そのブログによれば、「薄い生地」、「胸回りに刺しゅう」、
「プルオーバー」、「長袖」、「裾を出して着る」といった特徴があるようです。



パラカに関する話と、1920年代の服に関する話は今回で終わり、
次回からいよいよ1930年代の話になります。
お楽しみに。



(次回に続く)

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