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ハワイの衣料品製造業の歴史 その253 1922年~1947年 衣料品の主な種類(5) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

先日から始まった新しい章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、
衣料品のタイプ別に語られています。



『1922年~1947年 衣料品の主な種類(5)

そして終戦が変化をもたらした。

本土の商品がかなりの分量で持ち込まれる一方、
ハワイで生産されたハンド・ブロック・プリントの服の販売は続いたのである。

例えば、1946年3月13日付ホノルル・スターブリトゥン紙に載った、
オーダーメード・デザイナー、フロイ・マーサーの広告には
次のような文章が見られた。

「彼女の家は彼女の趣味です。ダマスク織の金襴のトラウザー、
 ブラック・サテンのブラウス、お揃いのスエードのベルト。35.40ドル」。 』




戦後すぐ(1945年後半から46年頃でしょう)のハワイでは、
「本土の商品がかなりの分量で持ち込まれる一方、
 ハワイで生産されたハンド・ブロック・プリントの服の販売は続いた」
と書かれています。

新聞広告を見る限りでは、
ハワイでブロック・プリントされたアロハシャツのことは全く出て来ないため、
そのようなものは戦争と共に無くなったように勝手に思いこんでいましたが、
確かに、売れ残り品もあるでしょうし、
本土からの物流もまだまだ不十分で、プリント生地も豊富だったわけではないので、
ハワイでのプリントは続いていたことでしょう。
そして一流百貨店はともかく、個人経営の洋服店や、土産物を売るようなお店などでは、
ブロック・プリントのアロハシャツがしばらく売られていたとしても
不思議ではありません。

本土からプリント生地が安定的に、しかも量的にも十分入ってくるようになってようやく、
ブロック・プリントのアロハシャツは無くなっていったのでしょう。




(次回に続く)

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