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ハワイの衣料品製造業の歴史 その239 1959年 著名な生地デザイナーがハワイを訪れた(5) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、著名生地デザイナー、ジュリア・モリス・グランビーのお話です。



『1959年 著名な生地デザイナーがハワイを訪れた(5)

  ”アメリテックスは、ホノルルだけで、
  毎年50万ドル相当のビジネスをもたらしている。”

  ”「3回試してようやく、ハワイの衣料品メーカーの要求を満たせる
  明るい色が得られたのです」と彼女は言った。

  「ハワイで売られているプリント生地はもっぱら
  ハワイの顧客用に作られたものです。」”

  ”グランビー女史は、若い頃の職業訓練を、
  国立ニューヨーク芸術学院とセントルイス美術学校で受けた。”

  ”マンハッタンは彼女にとっての故郷である。
  彼女はそこで、成長した息子や、
  シルク生地の分野の専門家である夫ベンと生活を共にしている。”



  1962年の初めにジュリア・モリス・グランビー女史は再びホノルルを訪れた。

 その際ホノルル・スターブリトゥン紙のインタビューを受けて、こう語っている。

 「スタジオに隔離されてそこに座り、そこで生地をデザインするなんてできません。

 人々が欲しがっているものを理解しなくちゃ。
 (訳注:街を見て学ばなければ生地をデザインできない)」』



ジュリア・モリス・グランビーに関する話題は今回で終わりとなります。



(次回に続く)

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