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ハワイの衣料品製造業の歴史 その229 1959年 衣料品メーカーは100万ドルのプリント生地を縫う(5) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、同じ新聞記事の引用部分が続きます。




『1959年 衣料品メーカーは100万ドルのプリント生地を縫う(5)

  ”しかし1951年に米国の生地市場の底が抜け、
  シャヒーンもそれに巻き込まれた。

  彼の販売額は78万ドルに上ったが、
  生地価格の暴落のため5万ドルの損失を被ったのである。”

  ”「あの年(1951年)、かなりの量の男性用アロハシャツを
  船で本土に運んでいました。」と彼は説明する。”

  ”「うちだけの特別なプリント柄の生地をニューヨークから買い、
  アロハシャツに仕立てて、1ダース42ドルで卸していました。

  小売価格で1枚5.95ドルのシャツです。

  しかし、市場が崩壊したとき、
  本土のメーカーは似たようなシャツを1ダース16.50ドルで売り始め、
  誰もがそのようなたたき売りに参加しているように見えたほどです。」”

  ”「それによって目録上の莫大な損失を被りました。

  なぜなら、生地の在庫を、手元と発注分と輸送分とで
  5か月分抱えておく必要があったからです。

  このことが我々の自信を失わせました。」” 』




1951年に米国のプリント生地の価格の大暴落があったこと、
そしてそれに対して本土のメーカーはシャツを大安売りしたことは
この文章を読むまで筆者は知りませんでした。

また、シャヒーンは独自の柄のプリント生地を
ニューヨークの会社から調達していたことや、
シャヒーンのアロハシャツの1951年の小売価格は1枚5.95ドルだったことも
今回初めて知りました。



(次回に続く)

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