ハワイの衣料品製造業の歴史 その140 1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(13) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。
「ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル」の項で、
前回に引き続き、エルシー・ダースについてです。
彼女の話題はまだしばらく続きます。
『1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(13)
”ローマ滞在中にダースは、いくつかのおしゃれな専門店に興味をそそられ、
「小さくても自分のお店を持てば、
自分がこうあるべきと考える服のデザインを表現できるのではないか」と
思い始めた。”
”テキスタイル・デザイナーとしての20年の経験を経て、
ダースは「ニューヨークの町の歴史上最も暑い夏」にニューヨークへ赴き、
毎日学校へ通い、型紙の作り方を学んだのち、ホノルルに戻り店を開いた。
ちなみに、韓国系のシルヴィア・ゴンバーグという女性が、
2年前まで(訳注:1958年まで)この店の共同経営者であったが、
ヒロに住む現在も実質的に経営を取り仕切っている。”
”最初のうちダースは、
デザイン的にはカジュアルな服やムームーなどにとどめる一方、
布地については、自分でデザインした柄を、
自分で直接生地にハンドブロック・プリントしたり
筆で描いたりしたものを使っていた。
初期に作られた、ペイント柄の、オレンジのホロクや
銀色のシルクのホステス・ガウンを筆者は目にしたが、
それらは、1960年の今、世界のどこで開かれるどんなパーティでも
まだまだ目を引くことであろう。” 』
(次回に続く)
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。
「ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル」の項で、
前回に引き続き、エルシー・ダースについてです。
彼女の話題はまだしばらく続きます。
『1946年 ハワイでの、オーダーメードのデザイナーと服のスタイル(13)
”ローマ滞在中にダースは、いくつかのおしゃれな専門店に興味をそそられ、
「小さくても自分のお店を持てば、
自分がこうあるべきと考える服のデザインを表現できるのではないか」と
思い始めた。”
”テキスタイル・デザイナーとしての20年の経験を経て、
ダースは「ニューヨークの町の歴史上最も暑い夏」にニューヨークへ赴き、
毎日学校へ通い、型紙の作り方を学んだのち、ホノルルに戻り店を開いた。
ちなみに、韓国系のシルヴィア・ゴンバーグという女性が、
2年前まで(訳注:1958年まで)この店の共同経営者であったが、
ヒロに住む現在も実質的に経営を取り仕切っている。”
”最初のうちダースは、
デザイン的にはカジュアルな服やムームーなどにとどめる一方、
布地については、自分でデザインした柄を、
自分で直接生地にハンドブロック・プリントしたり
筆で描いたりしたものを使っていた。
初期に作られた、ペイント柄の、オレンジのホロクや
銀色のシルクのホステス・ガウンを筆者は目にしたが、
それらは、1960年の今、世界のどこで開かれるどんなパーティでも
まだまだ目を引くことであろう。” 』
(次回に続く)
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