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ハワイの衣料品製造業の歴史 その124 1945年 小売店の広告(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
現在は、戦中・戦後編の章を、少しずつ翻訳しているところです。



『1945年 小売店の広告(1)

  1945年の末から1946年、そして1947年にかけて、
 ハワイ製の服に言及した小売店の広告がハワイの新聞に時々現れたが、
 その一方で1946年と1947年には、女性服の広告で、
 本土由来の名前を含むものも増えていた。
 例えばキャサリンズ・カジュアルズの1946年3月の広告は、
 「品質の良いメキシコの遊び着」と記述していた。
 同年3月、カイムキ・ドレス・ショップは
 「クレイグ・オブ・カリフォルニアというブランドの
 カリフォルニア・ファッション」を広告している。
 また同年3月下旬、マキナニーは、
 バリー・オブ・ハリウッドというブランドの、
 シャツなどの男性用スポーツウェアを広告している。
 そして1946年4月に、ワットムルスが
 ズキン・オブ・カリフォルニアというブランドのスラックス・スーツを広告し、
 1947年4月20日にはリバティハウスが
 「有名なベイツ綿を使った、コール・オブ・カリフォルニアの
 スイム・ファッション」を広告している。
 さらに同じ日には、マキナニーが、「タバック」というブランドの、
 ドレス、ブラ、ショーツ、スラック・スーツを広告し、
 ジェイズが、「コレット・オブ・カリフォルニアというブランドの
 おしゃれなパンツ」を広告している。
 1946年と1947年には、本土のスポーツウェアをを取り上げた
 ハワイの小売店の広告が、ほかにもたくさんあった。

  一方、ハワイ製の服が広告される際、
 色の付いた無地の生地に、柄がハンドブロック・プリントされた服が普通であった。
 アロハシャツは時々はプリントされたものであったが、
 多くは、ヤシの木などの力強いハワイのモチーフが、
 派手な色使いでハンドブロック・プリントされたものであった。
 次に、1945年、1946年、1947年のハワイの新聞に掲載された小売店の広告から、
 いくつかを抜粋して提示する。』




いよいよ、アロハシャツに関する記述が出てきました!
教授によれば、1945年~1947年は「ヤシの木などの力強いハワイのモチーフが、
派手な色使いでハンドブロック・プリントされたものが多かった」そうです。

ただし、この辺は、筆者とは見解が異なります。
戦争中は、確かにハワイ内でハンドブロック・プリントされたものが多かったでしょうが、
戦後になると、もう少し「普通のプリント」のアロハシャツが出てきており、
そのことは、イラスト付きの新聞広告からも明らかなのです。

特に1946年は「タパ柄」が多かったことがわかっています。
単調な柄のためデザインを起こしやすかったこと、
プリントも比較的簡単にできたであろうこと、が
タパ柄がこの年に多かった理由であると、筆者は推測しています。



次回から2回は、
「1945年~1947年のハワイの新聞に掲載された小売店の広告」をご紹介します。



(次回に続く)

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