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ハワイの衣料品製造業の歴史 その114 1942~54年 戦中・戦後期の状況 概略(7) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

今回は「戦中・戦後編」の概略部の第7回になります。


『1942~54年 ハワイの衣料品製造業の歴史 戦中・戦後編 概略(7)

     州昇格の1959年前後には、
    ハワイ・ポリネシア・スタイルの服が流行したことで、
    そのような服への需要は全米で急上昇した。
    そのため本土では、模造品が増加し、模倣者との競合が生まれた。
    すなわち、色の明るさやプリントの柄、服のスタイルなどの点で競合が起き、
    その競合の結果として本土では、ハワイ・ポリネシア的なデザインの、
    ハワイ製の服を求める需要の伸びが鈍化し、
    1960年代初頭にはハワイのメーカー数社が
    資金的に苦しめられることになったのである。

     これらのことがきっかけで、
    ハワイの大手衣料品製造業者は経営の幅を広げざるをえなくなった。
    そして(この文章が書かれた)1964年現在、ハワイの衣料品製造業は、
    ハワイ・ポリネシア的なラインと、
    ホノルル発の国際的なラインという2つのスタイルの上に成り立っている。』


(次回に続く)

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