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ハワイの衣料品製造業の歴史 その86 1939年 ハワイの衣料品製造産業の中のいくつかの会社(5) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


1930年代末のハワイの衣料品製造産業について詳細に記述された
当時の新聞記事が取り上げられています。
今回は、あの有名ブランドを手掛ける会社です。


 『1939年 ハワイの衣料品製造産業の中のいくつかの会社(5)

   ”品質に重きを置き、ハワイならではのファッションを製造する、
  また別の製造会社はブランフリート(訳注:のちにカハラに社名変更)である。
  その工場はノース・キング通りの、ファーリントン高校の近くにある。”

   ”この会社の最も人気のある製品は、
  定番人気のデューク・カハナモク・ブランドのジャケット
  (訳注:パイナップル・ツイードの無地生地を使い、
   胸にハワイ王家の紋章の刺繍が入ったジャケット)で、
  これは男性向けと女性向けの両方がある。
  この有名なデューク・ジャケットの新版は
  間もなく登場することになっているが、
  それまではブランフリートからの詳細は秘密にされている。”

   ”本土からもたらされるコットンとカラクロスは
  この会社が最も頻繁に使う生地である。
  このカラクロスという新しい生地はブランフリートのために、
  コットン、ウール、レーヨンを混紡して作られたもので、
  さまざまな実験を経て完成された。
  この素材は洗濯可能でハワイでの生活やいかなる場所での余暇にも最適である。”

   ”同社だけのプリント柄には、愛嬌のあるフラガール柄がある。
  そこには羽根付きヒョウタン(訳注:ウリウリと呼ばれるハワイの楽器)と
  細い竹の棒も一緒に描かれていて、
  美しいフラダンサーがカラカウア王の宮殿で奏でるヒョウタンのシャカシャカ音と
  棒のカツカツ音を思い起こさせてくれる。” 』



 ブランフリートは、1936年創業の老舗メーカーで、
戦後にカハラと社名を変えますが、すでにカハラのブランド名は使っていました。
(「その70」「その71」で、詳しく考察していますので、ご覧ください)

 「その71」で、1939年の蛸柄は、筆者が所有している ↓これ
蛸柄 1.JPG
ではないかという話をしましたが、そこでは素材に関しては触れられていなかったため、
筆者は「綿製」だと勝手に思っていました。
ところが今回、「カラクロス」という新素材を使っていたという新情報が出てきて、
もしかしたらこの生地が「カラクロス」なのではないかという気もしてきました。
というのも、カハラで使われている通常の綿が
つるっとしたフラットな生地なのに対して、
この生地は織りがざっくりしており、そんなところが
「洗濯可能でハワイでの生活やいかなる場所での余暇にも最適」という特徴に
合致するように思うのです。

 またここでは、プリント柄の話も出てきますが、
フラガール柄というのは、新聞広告などを見ていると、
初期(1930年代後半)のアロハシャツの柄として多かったように思えます。
その背景は、このあと(次々回)の記述でも出てくるのですが、
ハワイと言えば、腰蓑を付けた原住民の女性がいる異世界、という先入観が、
当時の米国本土の人の間に広まっていたようで、
それゆえ、フラガール(腰蓑の女性)は、
ハワイの最強のアイコンとしてかなり早くから定着していたのではないだろうかと
筆者は思うのです。
そのあたりを詳しく研究した本が こちら↓ です。
619BtWk2ZUL._SX352_BO1,204,203,200_.jpg
Hula: Vintage Hawaiian Graphics (Icons)
(その紹介文にも「エキゾチック アンド ロマンチック」と書かれています)

 ちなみに、ウリウリとは こういうもの↓ です。
32_2.jpg
54.auana_Solomon-Covington.jpg




(次回に続く)

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