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ハワイの衣料品製造業の歴史 その68 1938年 衣料品の積み荷が米国本土へ [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


 『1938年 衣料品の積み荷が米国本土へ

  ホノルル商工会議所の1938年の出版物、「ビジネス統計(1927-1937)」は、
 1937年6月30日を締め日とする会計年度において、
 米国本土に船で運ばれた綿の衣料品が
 12万8368ドル相当だったということを示した。
 それ以外のいくつかの製品の積み荷と比較した数字が次のとおりである。

  より重要なハワイ製品の、米国本土への積み荷
    --1937年6月30日を締め日とする会計年度

                  量       価値
  ナッツ            88409ポンド   898400ドル
  モラッセ
   (礫岩・砂岩・泥岩等の粗粒堆積岩)
              22055546ガロン 54278400ドル
  パパイヤジュース      602174ポンド 3525500ドル
  日本酒            820219ポンド 8516200ドル
  綿の衣料品          46545ポンド 12836800ドル
  ウール(非製造品)      141106ポンド 4084000ドル
  ウール(製造品)               222000ドル
  繊維絶縁板
  (訳注:サトウキビから汁を抽出した残りの繊維を固めた天井板)
                 18054803ポンド 61701500ドル
  保存用果実(ジャム、ゼリージャム)
                    95019ポンド 1193300ドル
  クエン酸               643106ポンド 13981400ドル
  変性アルコール          204009ガロン 10200400ドル
  パイナップル・アルコール      65740ガロン 3286900ドル

  1939年にハワイから本土に輸出された "綿の衣料品" の価値は
 10万9393ドルであった。
 同年に輸出された全ハワイ製品の総価値は1億1320万6898ドルであった。
  上で触れたレポートの数字は1937年と1939年に流通していたドルのものである。
 その当時からの価格上昇を考慮して、
 1964年(訳注:この本の執筆年)のドルに換算するなら、
 輸出価値は上で述べられたものより高いであろう。』


 1930年代になって本格的に工場生産するようになり、
さらに数年してから輸出もするようになった「綿の衣料品」が、
10年もたたないうちに、パパイヤジュースや日本酒や変性アルコールを超えて
ハワイの主要輸出品にまで急成長したわけです。
ハワイ柄が流行になったことも大きいでしょうが、
ハワイならではの特徴を出して、他の地域と差別化できたことが
成功した大きな理由でしょう。


(次回に続く)

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