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ハワイの衣料品製造業の歴史 その204 1950年 ハワイの1産業、生地プリント(7) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き「ハワイの生地プリント産業」の部分をご紹介します。



『1950年 ハワイの1産業、生地プリント(7)

  1940年代末には、数社がハワイ柄の制作とプリントのビジネスに新たに乗り出した。

 ブロック・プリントは、ハワイでは限られた規模でまだ使われていたが、
 ハワイの衣料品メーカーによる生地の需要は拡大していて、
 その需要の大部分は、ローラー・プリントでプリント生地を生産する
 本土の生地コンバーターが対応していた。

 ただ、ローラー・プリントで注文するには大量の生地をプリントするよう要求され、
 そのことがハワイのメーカー、特に小規模なメーカーを苦しめることになった。

 そのため、生地のプリントをハワイで行おうとする試みは続くこととなった。

  パラダイス・オブ・ザ・パシフィック誌1949年3月号に掲載されたある記事は
 「ハワイの新しい産業。正統的なポリネシア柄(訳注:パレオ柄のこと)の生地を
 いま大規模に生産する」と題されていた。

 プリント産業に新たに参入した2社はその記事の中で以下のように触れられている。

  ”ハワイアン・ハンド・プリンツ。
  ---新参入の会社はハワイアン・ハンド・プリンツという名で、
  カーテン、室内装飾、テーブルクロス、アロハシャツ、ホロク、
  その他の「ハワイアン・スタイル」の服に使うための、
  正統的なポリネシア柄の生地を作っている。”

  ”ハル・ウィルコックス・アンド・ハーヴェイ・デュークロウ・スタジオ。
  ---この会社はディリンガム大通り1155番地に工房を完成させたばかりなのだが、
  そこで、トロピカル柄やポリネシア柄のデザインとプリントを行っており、
  そのようなプリント生地に大きな需要があることに
  彼らは最近気付いたところである。”

  ”ホノルルの他のメーカーの協力を得て、彼らの生地はすでに、
  家具、アロハシャツその他の服に仕上げられている。” 』




1940年代末にハワイの服飾メーカーがプリント生地を調達する場合、
本土の生地コンバーターに発注するのが一般的でしたが、
彼らは主にローラー・プリントで大量にプリントしていたため、
最低の発注量は多めに設定されていました。

ただ、ハワイの小規模のメーカーはそんなに多くの生地を使わないため、
その需要にこたえる形で、ハワイにプリント会社ができたというわけです。

ここでは、「ハワイアン・ハンド・プリンツ」と
「ハル・ウィルコックス・アンド・ハーヴェイ・デュークロウ・スタジオ」という
2社が紹介されています。
筆者はこの2社のことを今回初めて知りました。

その生地はアロハシャツに仕立てられたと書かれているので、
どのような柄をプリントしていたのか、
どのようなアロハメーカーがそこの生地を使っていたのかなど、
もう少し詳しく知りたいところです。




(次回に続く)


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