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ハワイの新聞記事から その61 1947 ポリネシアン・デザインの生地は大規模な製造業に(1) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
今回から新しく、『パラダイスオブザパシフィック誌』の、
1947年頃(正確な掲載年月日は不明)の記事を翻訳していきます。
ある生地プリントメーカーの話です。

『ハワイの新産業
真正のポリネシアン・デザインの生地はいま、大規模な製造業である(1)』
「熱帯の島に行って、バナナとココナッツを食べて生きる」という少年時代の大望は、
ホノルルの、ある製造業の新会社の近年の設立において決定的要素であった。
その新規参入ビジネスの会社とはハワイアン・ハンド・プリンツ社であり、
カーテン、布張り、カバー、テーブルクロス、アロハシャツ、ホロク、
その他の「ハワイアン・スタイル」の衣料品に使うための、
真正のポリネシアン・モチーフの生地のメーカーである。
社長はハル・ウィルコックといい、
10歳の時、両親に向かって、ある「熱帯の島」で暮らすことについての声明を
発表した人物である。
後年、彼はフレデリック・オブライエン(訳注:アメリカの作家、ジャーナリスト)や
初期の探検家たちの著作を丹念に読み込んだのであるが、
それらの著作が、彼がそれまでに夢見てきた環境で暮らしたいという
彼の願望をより強めたのである。』
フレデリック・オブライエンについて調べたところ、
「1919年から1922年の間にフランス領ポリネシアについて
3冊のベストセラーの旅行本を書いた」そうです。
(ウィキペディアより引用)
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(ウィキペディアより引用)
ここに出てくる「ハワイアン・ハンド・プリンツ社」のことは
実はよくわかりません。
その後、全く名前を聞かないところから推測するに、
長くは続かなかったのでしょう。
戦争が終わった1945年から、1950年頃にかけては、
ハワイには小規模な生地プリントメーカーがいくつも出てきては、
すぐに消えていったようです。
その同じ時期の1948年に創業した「サーフンサンド」(シャヒーンズの前身)は、
たまたま商売がうまくいき、その後に大きくなったのですが、
それはむしろ稀有な例だったと言えるかもしれません。
上の文章に「アロハシャツの生地も作っていた」と書かれているので、
もしかしたら、戦後すぐぐらいに作られた、
「ポリネシア柄」のアロハシャツとして、
「ハワイアン・ハンド・プリンツ社」のプリント生地を
どこかで目にしているのかもしれませんね。
(次回に続く)
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
今回から新しく、『パラダイスオブザパシフィック誌』の、
1947年頃(正確な掲載年月日は不明)の記事を翻訳していきます。
ある生地プリントメーカーの話です。

『ハワイの新産業
真正のポリネシアン・デザインの生地はいま、大規模な製造業である(1)』
「熱帯の島に行って、バナナとココナッツを食べて生きる」という少年時代の大望は、
ホノルルの、ある製造業の新会社の近年の設立において決定的要素であった。
その新規参入ビジネスの会社とはハワイアン・ハンド・プリンツ社であり、
カーテン、布張り、カバー、テーブルクロス、アロハシャツ、ホロク、
その他の「ハワイアン・スタイル」の衣料品に使うための、
真正のポリネシアン・モチーフの生地のメーカーである。
社長はハル・ウィルコックといい、
10歳の時、両親に向かって、ある「熱帯の島」で暮らすことについての声明を
発表した人物である。
後年、彼はフレデリック・オブライエン(訳注:アメリカの作家、ジャーナリスト)や
初期の探検家たちの著作を丹念に読み込んだのであるが、
それらの著作が、彼がそれまでに夢見てきた環境で暮らしたいという
彼の願望をより強めたのである。』
フレデリック・オブライエンについて調べたところ、
「1919年から1922年の間にフランス領ポリネシアについて
3冊のベストセラーの旅行本を書いた」そうです。
(ウィキペディアより引用)
.jpg)
(ウィキペディアより引用)
ここに出てくる「ハワイアン・ハンド・プリンツ社」のことは
実はよくわかりません。
その後、全く名前を聞かないところから推測するに、
長くは続かなかったのでしょう。
戦争が終わった1945年から、1950年頃にかけては、
ハワイには小規模な生地プリントメーカーがいくつも出てきては、
すぐに消えていったようです。
その同じ時期の1948年に創業した「サーフンサンド」(シャヒーンズの前身)は、
たまたま商売がうまくいき、その後に大きくなったのですが、
それはむしろ稀有な例だったと言えるかもしれません。
上の文章に「アロハシャツの生地も作っていた」と書かれているので、
もしかしたら、戦後すぐぐらいに作られた、
「ポリネシア柄」のアロハシャツとして、
「ハワイアン・ハンド・プリンツ社」のプリント生地を
どこかで目にしているのかもしれませんね。
(次回に続く)
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