リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その62 1945年~1950年代半ばの布地(7) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1945年~1950年代半ばの布地」について語られています。
『第5章「1945年~1950年代半ば
:クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)
布地(7)
(続)
アルフレッド・シャヒーンは、
テキスタイル・デザインを専門職化した最初のメーカーであった。
「私は絵描きを数人集めました。
彼らはうちに来るまでは、食べていくのがやっとというくらいの
その日暮らしをしていました。
私は彼らをアトリエに置き、給料を支払い、
テキスタイル・デザインのやり方を教えました。
テキスタイル・デザインというのはそれ自体がアートです。
というのも、リピート(訳注:柄の周期的な繰り返し)を駆使して
デザインされなければなりませんし、
色分解(訳注:プリントの際、色を重ねて別の色を出す手法)も
なされなければならないからです。
テキスタイル・デザイナーを、普通は4人雇っていました。
私がやったことは、
私が考えたデザインを実際の柄に落とし込ませることでした。』
上の文章ではデザイナーの名前は出てきませんが、
リチャード・グッドウィンとロバート・サトウという2人がいたことが
知られています。
(アルフレッド・シャヒーンの公式HPより引用)
シャヒーンズのアロハシャツは、王道のアロハシャツとは少し違って
デザインが独創的でした。
意図して「東洋的な要素」が盛り込まれていたりしたのです。
筆者はそういうところが好きです。
例えば、こちら ↓ は、1950年代後半頃の「お香」柄
(漢字はパッケージに書かれていた文字)です。
当時人気だったようで、似たようなコピー柄も出回っていました。
クセになるようなデザインが多いんですよね。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1945年~1950年代半ばの布地」について語られています。
『第5章「1945年~1950年代半ば
:クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)
布地(7)
(続)
アルフレッド・シャヒーンは、
テキスタイル・デザインを専門職化した最初のメーカーであった。
「私は絵描きを数人集めました。
彼らはうちに来るまでは、食べていくのがやっとというくらいの
その日暮らしをしていました。
私は彼らをアトリエに置き、給料を支払い、
テキスタイル・デザインのやり方を教えました。
テキスタイル・デザインというのはそれ自体がアートです。
というのも、リピート(訳注:柄の周期的な繰り返し)を駆使して
デザインされなければなりませんし、
色分解(訳注:プリントの際、色を重ねて別の色を出す手法)も
なされなければならないからです。
テキスタイル・デザイナーを、普通は4人雇っていました。
私がやったことは、
私が考えたデザインを実際の柄に落とし込ませることでした。』
上の文章ではデザイナーの名前は出てきませんが、
リチャード・グッドウィンとロバート・サトウという2人がいたことが
知られています。
(アルフレッド・シャヒーンの公式HPより引用)
シャヒーンズのアロハシャツは、王道のアロハシャツとは少し違って
デザインが独創的でした。
意図して「東洋的な要素」が盛り込まれていたりしたのです。
筆者はそういうところが好きです。
例えば、こちら ↓ は、1950年代後半頃の「お香」柄
(漢字はパッケージに書かれていた文字)です。
当時人気だったようで、似たようなコピー柄も出回っていました。
クセになるようなデザインが多いんですよね。
(次回に続く)
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