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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その50 1945年~1950年代半ばの文化的背景(1) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

ゴールデンウィーク特別企画のため間が空いてしまいましたが、
平日企画に戻り、
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けします。

今回から新しい章に移り、
「1945年~1950年代半ばの文化的背景」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  文化的背景(1)

 第二次世界大戦により生地が輸入されなくなった後、
それでもハワイでは必要だったので、
独自のハワイ柄生地の生産が始まった。

画家たちは、トロピカル・モチーフの、衣料品向け生地のデザインを始めた。

1940年代前半にアロハシャツはカーテンの端切れで作られていた。

そのようなカーテン地のアロハシャツは、
初期トロピカル柄アロハシャツの中の1つである。

ウォングス・ドレイパリー・ショップが作ったカーテン・シャツは
ハワイの一現象であった。

それらを着たのは地元住民だけであり、
本土からの観光客は決して着用しなかった。

こうしたカーテン・シャツは広告されなかったが、
ハワイでは1940年代から60年代にかけてずっと人気があった。
そして、ハワイの学生が米国本土の大学に行くようになり、
その後、実家に手紙を出してウォングス・ドレイパリーのシャツを
取り寄せるようになるにつれて、本土でさえも人気となった。

そのシャツは厚手のコットン生地で、
フットボールの試合をするのにも快適であった
(著者注:出典は1998年11月のムン・キン・ウォングへのインタビュー)。』



『Hawaii Business Magazine』の記事によれば、
ウォングス・ドレイパリー・ショップは1947年にイン・ウォングが、
サウス・ベレタニア通りに開き、その2年後にチャイナ・タウンの、
キング通りとスミス通りの角に移転したそうです。

リンダ・アーサー氏がインタビューしたムン・キン・ウォングという人物は、
創業者イン・ウォングの息子で、同じく息子である2代目リチャード・ウォングから
経営を引き継いだ3代目社長のようです。
イン・ウォングが1889年生まれなので、
ムン・キン・ウォングは、1920年代生まれだと仮定するなら、
インタビュー当時は70代といったところでしょうか?

ハワイでは1960年代まで人気を博し、米国本土でも人気だったという話や、
「フットボールの試合をするのにも快適であった」という話などは
非常に興味深いです。


その一方で、
「1940年代前半にアロハシャツはカーテンの端切れで作られていた」
という記述も、ムン・キン・ウォングから聞いた話なのでしょうか?

カーテン地のアロハシャツはウォングス・ドレイパリー・ショップで発明され、
販売されていたものだと、筆者はこれまで考えていたので、
もし1940年代前半にすでに売られていたのであれば、
それはどこの店だったのかをすごく知りたくなりました。

ちなみに、ハワイ大学の衣装コレクションにも
ウォングス・ドレイパリー・ショップのカーテン地のアロハシャツがありましたので、
ご紹介しておきます。

Wongs Drapery Shoppe.jpg

(ハワイ大学の衣装コレクションより引用)

その説明には、「1948年製」と書かれています。

また、以前にもご紹介したものになりますが、
別のカーテン地のアロハシャツもご紹介しておきます
(上のものと同じ頃の、1940年代末~50年代前半頃の製品と推測されます)。

HAO_0027_1.JPG

HAO_0027_3.JPG

(過去のヤフオク出品物より引用)


「1960年代まで人気だった」という上の記述には反しますが、
筆者は、発売後数年で消えていったのではないかと推測しています。
その理由として、ハワイで着るには厚手すぎるように思えること、
また、それほど長期に売られていたのであればもっとたくさん現存しているはずなのに、
ほとんど見かけないこと、の2点を挙げておきたいと思います。



(次回に続く)

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