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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その38 1930年代~1945年の衣料品生産(5) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は、「1930年代~1945年の衣料品生産」に関する記述をお届けしています。



『第4章「1930年代~1945年

  衣料品生産(5)

ハーバート・ブライナーが社長として働き、ハワイでの販売を指揮する一方、
(訳注:のちに妻となる)ミリー・ブライナーは同社のデザインを行っていた。

最初の数年間、カメハメハ社の布地はハワイでデザインされ
カリフォルニアでプリントされて、
再びハワイでシャツに仕立てられていた。

1936年のクリスマスの時期に船便のストライキに遭い、
プリント生地がカリフォルニアに、出来上がった服がハワイに、
それぞれ留め置かれてしまった。

そこでそれらの服をハワイで売ろうと試みたのだが、
ハワイの人々はシャツを買ってくれなかったため、
ブライナーは米国、ヨーロッパ、ニュージーランド、
オーストラリアに輸出し始めた。

結局ハワイで販売されたのは全体のわずか5%だった。

1939年にカメハメハは「独自のプリント柄を23種類作り、
その全ては、コットン地に、米国本土でプリントされたものである。」
(著者注:出典は1939年2月のホノルル・アドヴァタイザー紙の記事)』




1936年にはカリフォルニアでプリントした生地を
ハワイでシャツに仕立てたと書かれていますが、
どのような柄だったかは書かれていません。

そして、以前の記述で、
「コットン製のハワイ柄プリントが明らかに服の上に見られ始めるのは、
 1938年頃のようである。」
とあったことと併せて考えるなら、
1936年から38年のプリント柄は、「ハワイ柄ではなかった」ということになります。
カリフォルニアで和柄をプリントしたとも考えにくいので、
チェック柄やストライプ柄などだったのでしょうか?
想像を掻き立てられますね。

1939年のカメハメハには「独自のプリント柄」が「23種類」もあったというのですから、
これも驚くべき種類の多さですよね。
ただ、全てがハワイ柄だとは言っていないので、
チェック柄などが含まれている可能性もありますが、
それでもハワイ柄があったことは確実なので、
これも見てみたいところです。
チャップスイ柄などでしょうか?

ちなみに、キング・スミスの「アロハ・スポーツウェア」に、
こんな ↓ チャップスイ柄のコットン・アロハシャツがあります。

s-DSCN0111.jpg

(筆者コレクションより)

このシャツの年代を特定するのは非常に難しいのですが、
1930年代末の可能性もあるので、
カメハメハの、1939年のコットン・アロハシャツも
似たような柄だったかもしれないと、筆者は考えています。


最後に1つ補足しておきますと、
上の記述に「ミリー・ブライナーは同社のデザインを行っていた」
という部分がありますが、
そこに筆者が(訳注:のちに妻となる)と注釈を入れたのは、
1930年代にはまだ結婚していなかったであろうと思うからです。

筆者が人名録などで調べた限りでは、
1953年版(1952年発行と思われます)で、
「ミルドレッド・A・パーク デザイナー兼モデル」と記載されており、
(名前からして韓国系アメリカ人のようですが、
 韓国系アメリカ人の妻かもしれません)
少なくともまだブライナー氏とは結婚していないことは確かです
(結婚したのは、1957年版に記載があるので「1956年」だと思います)。
さらに言えば、1930年代にはまだ若くて、
カメハメハでデザイナーをやってもいなかったかもしれません。

ちなみに彼女は、1966年にハーバート・ブライナーが死去した後、
カメハメハの社長に就任し、1978年頃までその座にとどまっていたことが、
人名録の記録からわかっています。



(次回に続く)

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