リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その37 1930年代~1945年の衣料品生産(4) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の衣料品生産」に関する記述をお届けしています。
『第4章「1930年代~1945年
衣料品生産(4)
1936~37年は、ハワイで衣料品が初めて大量生産された、重要な年である。
ハーバート・ブライナーは1936年にカメハメハ・ガーメント社を創業した。
そもそも彼は、ロウシルクの生地で染料が落ちる原因を究明するという、
メイ・カンパニー(訳注:カリフォルニアの百貨店チェーン)からの
使命を帯びてハワイにやって来た。
その後オアフ・ガーメント社で働き始めたが、
まもなく同社を買収し、社名をカメハメハに変更した。
そこはもともとホノルルの小さな工場であり、
男性向けのロウシルク・シャツを製造していたのだが、
(訳注:カメハメハ社となって)成長を遂げると、
お針子としての訓練を受けた女性たちをあらかじめ集めておいた
ハワイ島のヒロに工場を移転した。』
今回と次回は、カメハメハ・ガーメント社に関する記述となります。
ハーバート・ブライナーが、
「ロウシルクの生地で染料が落ちる原因を究明するという、
メイ・カンパニーからの使命を帯びてハワイにやって来た」こと、
「その後オアフ・ガーメント社で働き始めたが、
まもなく同社を買収し、社名をカメハメハに変更した」こと
は、筆者も今回初めて知りました。
ちなみにここに出てくる「オアフ・ガーメント社」というのは、
もともとはワークウェアを作っていた会社で、
その後、アロハシャツも作っています。
こちら ↓ がそのアロハシャツです。
(ヤフオク bucobeckさんの出品物より引用)
1930年代後半~40年代前半頃の製品だと思われます。
カメハメハは、ヒロに工場を建て、
いち早く生産能力を引き上げたことで
ハワイ随一の衣料品メーカーに飛躍できたのでしょう。
その意味では、ブライナー氏の経営手腕は非常に優れていたのだと思います。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の衣料品生産」に関する記述をお届けしています。
『第4章「1930年代~1945年
衣料品生産(4)
1936~37年は、ハワイで衣料品が初めて大量生産された、重要な年である。
ハーバート・ブライナーは1936年にカメハメハ・ガーメント社を創業した。
そもそも彼は、ロウシルクの生地で染料が落ちる原因を究明するという、
メイ・カンパニー(訳注:カリフォルニアの百貨店チェーン)からの
使命を帯びてハワイにやって来た。
その後オアフ・ガーメント社で働き始めたが、
まもなく同社を買収し、社名をカメハメハに変更した。
そこはもともとホノルルの小さな工場であり、
男性向けのロウシルク・シャツを製造していたのだが、
(訳注:カメハメハ社となって)成長を遂げると、
お針子としての訓練を受けた女性たちをあらかじめ集めておいた
ハワイ島のヒロに工場を移転した。』
今回と次回は、カメハメハ・ガーメント社に関する記述となります。
ハーバート・ブライナーが、
「ロウシルクの生地で染料が落ちる原因を究明するという、
メイ・カンパニーからの使命を帯びてハワイにやって来た」こと、
「その後オアフ・ガーメント社で働き始めたが、
まもなく同社を買収し、社名をカメハメハに変更した」こと
は、筆者も今回初めて知りました。
ちなみにここに出てくる「オアフ・ガーメント社」というのは、
もともとはワークウェアを作っていた会社で、
その後、アロハシャツも作っています。
こちら ↓ がそのアロハシャツです。
(ヤフオク bucobeckさんの出品物より引用)
1930年代後半~40年代前半頃の製品だと思われます。
カメハメハは、ヒロに工場を建て、
いち早く生産能力を引き上げたことで
ハワイ随一の衣料品メーカーに飛躍できたのでしょう。
その意味では、ブライナー氏の経営手腕は非常に優れていたのだと思います。
(次回に続く)
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