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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その29 1930年代~1945年の布地(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は、「1930年代~1945年の布地」に関する記述です。



『第4章「1930年代~1945年

  布地(3)

 ロウシルクは衣料品に使われることが時々あったが、
1930年代には、厚手のコットン地と同様、
カーテン類に使われることもあった。

初期のトロピカルなハワイ柄は、衣料品向けではなく、
カーテン類や家具の布張り向けにデザインされたのだから、
インテリア・デザイン向けの布地の役割を
もっと考慮することが大切である。

そのような理由から、
トロピカルなハワイ柄のレーヨン製衣料品を1930年代のものとする、
他の本に見られる主張は誤りなのである。』




前回、翻訳の最後の部分についてコメントし忘れてしまったので
今回はまずそこに戻り、そのコメントから始めようと思います。

「1930年代前半のアロハシャツのデザイン・モチーフは一様にアジア調であり、
 一般的にはローラー・プリントされたのちにハワイに輸入されたものであった」
という部分です。

ここは、その前の部分と併せて読んだ方がわかりやすいと思うので、
そこも引用しておきます。

「初期のアロハシャツは、シルクや壁縮緬を使った着物地、
または2色プリントのコットン・ブロードクロスで作られていた」

その流れを踏まえて、(そして補足して)さきほどの記述を読むと、
「シルクや壁縮緬を使った着物地」⇒ 「アジア調」(⇒ 日本からの輸入生地)、
「2色プリントのコットン・ブロードクロス」
 ⇒ 「ローラー・プリントされたのちにハワイに輸入されたもの」
(⇒ 米国本土からの輸入生地)
という「2つの流れ」に分けた方が正確なのではないかと筆者は考えます
(2つの流れを明確に分けて記述していないため混同しそうになります)。

日本からの生地は、ほとんどが着物由来の生地だったと思うので、
それらは、大規模な設備を使った「ローラープリント」ではなく、
職人が手で染める「ハンド・スクリーン・プリント」だったはずです。

一方、「2色プリントのコットン・ブロードクロス」で作られた
「初期のアロハシャツ」というものを、
筆者はどうしてもイメージできないのですが、
仮にそのようなものがあったとしたら、
その生地はローラープリントによるもので、
そうであるなら米国本土でプリントされたものだと思うのです。


そして、最後の部分、
「戦時中は貿易が制限されたため、
 ハワイの布地はスクリーン・プリントされることがほとんどだった」
もわかりにくいので補足すると、
この、ハワイで行われた「スクリーン・プリント」は、
日本のスクリーン・プリントよりも
もっと簡便な(ある意味、雑な)スクリーン・プリントでした。


前回分のコメントはこれくらいにして、今回部分に移りましょう。

「初期のトロピカルなハワイ柄は、衣料品向けではなく、
 カーテン類や家具の布張り向けにデザインされた」
というのは、エルシー・ダースがカーテン向けの生地に行った
テキスタイル・デザインのことを指すと思われます。

確かにそれはそうなのですが、
「トロピカルなハワイ柄のレーヨン製衣料品」が「1930年代にはなかった」
とまで言い切れるかというと、筆者には自信がありません。

なぜなら、1939年に開かれた「NEW YORK WORLD’S FAIR」の
「開催記念レーヨンスカーフ」というものが存在するからです。

2-133.jpg

https://gallant-doo.comより引用)

しかも、下 ↓ の画像で分かるように、これは抜染でプリントされています。
「抜染」の技法はすでに確立されていたのです。

8ダメージ-2-1024x768.jpg

ということは、
「1930年代にレーヨン抜染のアロハシャツ」(しかもハワイ柄)が
全く作られなかったとまでは言い切れないのです
(ニューヨークで1939年なら、ハワイに上陸したのは1940年になってから、
 というのも、まあ、納得できる話ではあるのですが・・・)


結局、1930年代のアロハシャツの話になると、
いつもはっきりしたことはわからなくなってしまうのです。



(次回に続く)

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